第62回:ピレリ“黒いこぶし”(その3)

2007.09.01 エッセイ

第62回:ピレリ“黒いこぶし”(その3)


第62回:ピレリ“黒いこぶし”(その3)

ピレリ社は、1872年、ジョバンニ・バティッスタ・ピレリによってミラノで設立された。当初は一般的なゴム製品を製造。その後、ワイヤーケーブルの製造などに手を拡げ、1901年から乗用車用タイヤをつくり始めた。ジョン・ボイド・ダンロップが空気で膨らませるタイヤを発明してから、約13年後のことである。
近年クルマが普及し、タイヤメーカーの価格競争が激化したが、ピレリは不況といわれる経済状態のなか“商品の改善と多角化”というポリシーで業界トップを目指した。「PZERO」シリーズをはじめとする、いわゆる高性能タイヤは、現在もフェラーリやポルシェなど、名だたるメーカーのモデルに採用されている。

日本ではタイヤで有名なピレリ社だが、主力商品は光ファイバーや海底ケーブルが約60%、タイヤは約40%。タイヤの世界シェアは、約4%といわれている。

Pirelli“in Safe Hands”/Italy
チーフクリエイティブディレクター:Maurizio Sala
クリエイティブディレクター:Michele Mariani
コピーライター:Maurizio Sala
フォトグラファー:Davide Bodini
プロダクション:Studio Immagine
エージェンシー:Armando Testa/Milan

(文=金子秀之/2003年9月)

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金子 秀之

金子 秀之

早稲田大学商学部卒業。資生堂のアートディレクターとして前田美波里のサマーキャンペーンを担当。1973年博報堂のクリエイティブ・ディレクターとして、サントリーの「ブランディ水で割ったらアメリカン」キャンペーンを手がける。1993年(有)クエスターを設立。広告製作及び海外広告の紹介をして現在にいたる。