「日産80thアニバーサリー ヘリテージ・カー・パレード in Yokohama」
2013.12.26 画像・写真2013年12月23日(2と3で「ニッサンの日」)、日産自動車グローバル本社がある神奈川県横浜市において、「日産80thアニバーサリー ヘリテージ・カー・パレード in Yokohama」が開催された。イベントについては既報のとおりだが、ここではパレード参加車両を中心に写真で紹介する。(文と写真=沼田 亨)

みなとみらいにある日産グローバル本社近くの駐車場に、1935年「ダットサン14型フェートン」から99年「R34スカイライン」「S15シルビア」「ティーノ」まで、「ヘリテージ・カー・パレード」に参加する106台の歴代モデルが全国から集まった。
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みなとみらいにある日産グローバル本社近くの駐車場に、1935年「ダットサン14型フェートン」から99年「R34スカイライン」「S15シルビア」「ティーノ」まで、「ヘリテージ・カー・パレード」に参加する106台の歴代モデルが全国から集まった。
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日産所蔵のヘリテージカー3台が、駐車場内でデモランを披露。これは1938年「ダットサン17型フェートン」で、エンジンは直4サイドバルブ722cc。戦前型ダットサンは、アクセルペダルがクラッチペダルとブレーキペダルの間、つまり左からクラッチ、アクセル、ブレーキと並ぶペダルレイアウトを持つ。
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北米輸出専用車だった1961年「ダットサン・フェアレディ」。型式名はSPL213で、SPLの「L」は左ハンドルを意味する。初代310ブルーバードと同じ直4 OHV 1.2リッターエンジンを搭載、生産台数はわずか217台という。
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1983年「日産240RS」。グループB時代のWRCに参戦するため、3代目「シルビア」(S110)をベースに開発されたホモロゲーションモデル。車名のとおり240psを発生するDOHC 16バルブの2.4リッターエンジンを搭載。ホモロゲ取得のために作られた200台のうち、150台が左ハンドルで50台が右ハンドルといわれている。
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石川県小松市にある日本自動車博物館から特別出展された1938年「ダットサン改造救急車」。「ダットサン17型」をベースに、おそらく戦後になってから改造したものだろう。救急車といってもご覧のとおりのサイズ(ベース車の17型はホイールベース約2m、全長3mちょっと)なので、患者を寝かせるスペースはない。
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美しく仕上げられた、「品川5」のシングルナンバー付きの1965年式初代「シルビア」のオーナーは、常務執行役員チーフクリエイティブオフィサーの中村史郎氏(左)。右はゲストとして招かれた、初代シルビアのエクステリアデザインを担当した日産OBの木村一男氏。筆者の個人的見解では、初代シルビアは歴代日産車中もっとも美しいクルマなのだが、木村氏によれば企画のスタートから東京モーターショーに出展するプロトタイプの完成まで、わずか半年しかなかったという。
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本社前には、日産が所蔵するもっとも古いモデルである1933年「ダットサン12型フェートン」と、日産初の国際舞台への挑戦だった58年の豪州ラリーでクラス優勝に輝いた「ダットサン富士号(210)」が展示されていた。富士号のドライバーは、当時設計実験部門所属のテストドライバーで、後年ラリーチームの監督やニスモの初代社長を歴任、2013年11月末に亡くなった難波靖治氏(享年84)だった。
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本社ギャラリーにて、80周年記念セレモニーが開催された。2013年の東京モーターショーにも飾られた、1935年「ダットサン14型ロードスター」と67年に国際スピード記録を樹立した「R380-Ⅱ」が並べられたステージ上であいさつする、代表取締役副会長の志賀俊之氏。
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続いてステージ上では、日産と契約して40年以上になる2人のレジェンド・ドライバー、長谷見昌弘氏と星野一義氏のトークショーが行われた。
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ギャラリーには、過日ここで実施された「 “私が愛した日産車”投票イベント」の上位入賞車が展示されていた。これはセダン部門1位に輝いた型式名S54Bこと1965年「プリンス・スカイライン2000GT-B」。ほかにクラシックカー部門1位の52年「ダットサン・スポーツ」とスポーツ&スペシャリティ部門1位の「フェアレディ240Z-G」の姿もあった。
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午後1時30分、ヘリテージ・カー・パレードがスタート。カーナンバー1の1935年「ダットサン14型フェートン」を先頭に、ナンバー順にレッドカーペットの上で一台ずつ紹介された後にスタートする。片桐隆夫副社長がスターターを務めた。
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「5」で始まる、陸運支局がなかった時代の東京ナンバーを付けた1937年「ダットサン16型ロードスター」。アメリカ大陸を横断するグレートアメリカンレースに、80年代に2度参加したヒストリーを持つ個体である。
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同じく「5」ナンバーを付けた、先に紹介した「ダットサン富士号」のベースとなった2台の1958年「ダットサン210」に、65年「ダットサン・トラック(520)」が続く
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日産が英国オースチンとの契約の下にライセンス生産したモデルが2台。前はこれも「5」ナンバー付きの1959年「オースチンA50ケンブリッジ」。後ろを走るのは日産が初めてライセンス生産した54年「オースチンA40サマーセット」。オースチンから学んだノウハウは、その後の日産のクルマづくりに多大な影響を与えた。
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1961年「日産セドリック・デラックス」。オースチンのライセンス生産の経験から生まれた、日産初のオリジナル中型乗用車がセドリック。この個体は俗に「縦目のセドリック」と呼ばれる初代のなかでも、プレス製のフロントグリルを持つ希少な最初期型である。
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オープン2座時代の「フェアレディ」の最終発展型である型式名SR311こと「ダットサン・フェアレディ2000」が2台、その後方に後継モデルとなる初代「フェアレディZ」が2台続いている。
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当初は輸出専用だった、2.4リッターエンジンを積んだ「ダットサン240Z」を国内向けとしたのが、1971年に追加された「日産フェアレディ240Z」。樹脂製のオーバーフェンダーにGノーズと呼ばれるノーズコーン、アクリル製のライトカバーを備えたトップグレードの「240Z-G」は国内専用モデルだった。
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「ブルーバード」史上における最高傑作の呼び声も高い、1967年にデビューした型式名510こと3代目が4台並んでいる。なかでも最初の2台は、マニアの間で「ケンカワイパー」と呼ばれる対向式ワイパーを備えた初期型のホットグレードである「1600SSS」。しかも白い個体は「品川5」、赤は「練馬5」のシングルナンバー付きだ。
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1969年「日産ローレル・デラックスB」。ブルーバードでは飽き足らないが、セドリックでは大きすぎるという層に向けたアッパーミドルサルーンが、「ハイオーナーカー」をうたった初代ローレル。510をひとまわり大きくした感じだが、エンジンは旧プリンス設計の直4 SOHC クロスフロー1.8リッターで、旧プリンスの村山工場で生産された。
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最初に「GT-R」の名を冠したモデルである1969年「日産スカイライン2000GT-R」(PGC10)。4ドアセダン・ボディーに、プロトタイプレーシングの「R380」用をベースに量産化した直6 DOHC 24バルブ2リッターエンジンを積んだ、通称ハコスカこと3代目スカイラインのホットモデルである。後方を走るのは、ホイールベースを70mm短縮して、ボディーを2ドアハードトップとした「スカイライン・ハードトップ2000GT-R」(KPGC10)。
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1966年「プリンス・グロリア6ワゴン」。車名はワゴンでも、4ナンバーの商用バン。とはいえ直6 SOHC 2リッターエンジンを積み、セダンと同じド・ディオン式リアアクスルを備えた高級商用車だった。
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1973年「ダットサン・サニー1200クーペGX-5」。ツーリングカーレースで大活躍した、型式名B110と呼ばれる2代目サニー・クーペの最強モデル。5速のギア比がオーバートップではなく1.00の直結5段、シフトパターンも2-3-4-5速でH型を構成するレーシングパターンだった。
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1987年「Be-1」。85年の東京モーターショーにコンセプトカーとして出展したところ、大好評だったことから市販化が決定した、初代「マーチ」をベースとするパイクカー。イメージカラーだったパンプキンイエローやハイドレインジアブルーという色名のブルーグレーに比べ、このオニオンホワイトはあまり見かけなかった気がする。
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1989年「パオ」。冒険気分とレトロのミクスチャーをうたった、ちょっぴり「ルノー4」を思わせるデザインのパイクカー第2弾。「Be-1」同様にキャンバストップも選べたが、これはメタルトップ仕様。テラコッタという色名のレンガ色がいい感じ。
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初代「マーチ」ベースのパイクカー3部作の、第3弾にして最終作となる1991年「フィガロ」がランデブー走行。国内専用車だが、海外でもカルトカーとして一部のマニアの間で人気を博し、ワンオフのフェラーリを作らせるほどのクルマ好きであるエリック・クラプトンも所有と伝えられている。
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こちらは1989年&90年の「マーチ・スーパーターボ」。初代マーチの1リッターエンジンを930ccに縮小し、機械式スーパーチャージャーとターボの2段過給を備え110psまでチューン、5段クロスミッションやビスカス式LSDを備えた競技専用車の「マーチR」をロードバージョンに仕立て直したモデル。日本初にして、これまでのところ唯一のツインチャージャー搭載市販車である。
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武骨に盛り上がったボンネットのバルジが印象的な「パルサーGTI-R」。1990年に登場した4代目パルサーの3ドアハッチバックボディーに、230psを発生する2リッターターボエンジンとアテーサ(フルタイム4WDシステム)を搭載。「ラリーの日産」の復権を賭けWRCに参戦したが、問題が続出して目立った成績は残していない。
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今回の参加車両中、個人的にもっとも珍しいと思った1984年「レパードTR-X」。80年に登場した初代レパードは、この2ドアと4ドアの2種類のハードトップボディーをそろえたスペシャルティカーだったが、「TR-X」(トライエックスと読む)は販売店違いの双子車。レパードの異形2灯に対して角形4灯のヘッドライトを持つマスクほか細部が異なる。
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1988年「スカイライン・スポーツクーペGTS」。ハイソカー転向をもくろみ、85年に4ドアセダンと4ドアハードトップのみで登場した7th(セブンス)こと7代目スカイライン。しかしセールスは振るわず、86年にこの2ドアクーペが追加設定された。目玉となる装備が、車速が70km/h以上になると降りてきて、50km/h以下で収納される世界初の「GTオートスポイラー」。任意でも作動可能で、これは降ろした状態である。
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1979年「シビリアン」。前身となる「エコー」の後を受けて、71年に登場したマイクロバスが初代シビリアン。現在も3代目がラインナップされており、トヨタの「コースター」とは長年のライバル関係にある。
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