速度と航続距離と積載力。
昔むかし、クルマ作りに携わる人から聞いた、自動車がかなえるべき三つの本質だ。誰もが一度は気に留めたことがあるだろう、“暴走銘柄”を手掛けたその御仁がそうのたまう。文明としての自動車の発展は、必ずここに収斂(しゅうれん)すると。人より速けりゃ万事OKみたいなごくごく狭いところを追いかけているように見えて、実はそういうことを見据えているのかと、僕は少なからず衝撃を受けた。
クルマの作り手ではないどころか、できたものを好き放題乗り回してはああだこうだとイチャモンを並べるだけの僕は、正面切ってそんなシンプルな言葉でクルマを言い切るほどの境地にはまるで達する気配がない。ただ、他人にクルマの長所や効能を尋ねられると、こういう風には答えられる。
いつでも好きな時に、好きなように、行きたいところに連れて行ってくれる。つまるところ、自動車の根源的なミッションというのは移動にあるわけで、その目的は運搬の効率向上にあった。それを賄うべく技術が発達し、それに伴って自動車のあり方が多様化する過程で発生した欲求の矛先のひとつが「旅」ということになるのではないだろうか。
その流れを端的に示したのは英国かもしれない。第二次大戦を挟んで富裕層の間で流行したのは、愛車と共に海を渡り、ヨーロッパの旅を楽しむというトランスコンチネンタル・ツーリングだ。島国であるがゆえに抱くだろう、目の前にある巨大な大陸の情景への強い憧れは、日本人の僕にもなんとなくわかる気がする。
英国車の根っこには旅がある。
そんな仮説を頭の中に立てながら、初秋の北信州へ、いまのジャガーを走らせてみた。