二つ目の事件

「ちょっと、あんたッ」
女性客は、いきなり怒鳴り口調になって、運転手を「あんた」と呼んだ。

はい……。

「はいじゃないわよ。あんた。私が電話してるのをいいことに、遠回りする気ね」

え〜ッ?!

思いも寄らない言葉にびっくり仰天。遠回りだなんて、そんなつもりはもちろんない。意味不明な叱責(しっせき)に驚いた運転手は、「左のクルマを避けるには直進するしかなかったので……」と事情を説明したけれど、彼女には、そんな説明はどうでもよかったらしい。

「そんなこと聞いてんじゃないわよ。あんた、なんで遠回りしたのよ。その理由を聞いてるのよ」
「どういうつもりか理由を言いなさいよ、理由を!」

女性客の、あまりに無体な言い様はもちろん言いがかりだ。そもそも、D地点を左折しようが直進しようがA地点までの距離はいっしょなのだから。だが女性客は、あらん限りの罵詈(ばり)雑言を運転手に浴びせ、その間も電話はつながっていたらしく、今度は電話の相手にも事情を訴えだした。

「ちょっと聞いてよ、このタクシー運転手、とんでもない悪質なヤツなんだよ……」
「いまどこにいるの? こっちに合流できるよね。ここにきて、このタクシー運転手、やっつけてよ」

「モンスタークレーマーは30代くらいの女性客に多い」
ずいぶん前にモンスタークレーマー女にやっつけられたタクシー運転手から聞いたのを思い出した。
「『料金はけっこうですから』って言うまでクレームは終わらない」

彼がそう言ったのを思い出したタクシー運転手は「意地でも『料金はいりません』とは言わないぞ」と心に決め、このモンスタークレーマーのクレーマーっぷりを最後まで見届けようと思った。彼女に加勢するために電話の相手とやらも駆けつけるのだろうか、とか考えながら。

という運転手の心のうちが何となく伝わったのだろうか。運転手を罵倒し続けていたモンスタークレーマー女は、なぜだか急に「ここで止めて」と言い、料金1250円を投げつけるようにしてタクシーを降り、深夜の街に消えていったのであった。

(文=矢貫隆)

矢貫 隆

矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、 ノンフィクションライターに。自動車専門誌『NAVI』(二玄社)に「交通事件シリーズ」(終了)、 同『CAR GRAPHIC』(二玄社)に「自動車の罪」「ノンフィクションファイル」などを手がける。 『自殺-生き残りの証言』(文春文庫)、『通信簿はオール1』(洋泉社)、 『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。

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