バブル期のサーブは派手だった

『ドライブ・マイ・カー』というタイトル自体、クルマの運転だけを示しているのではないだろう。忌野清志郎の『雨上がりの夜空に』でもわかるように、クルマを運転するというのは性行為の暗喩として用いられることが多い。クルマは時に女性性を、時に男性性を帯びる両義的な存在である。運転の仕方とは、男女の関係性を意味しているととらえることもできるだろう。

紹介された女性、渡利みさきは優秀なドライバーで、家福は彼女を雇うことを決める。運転の腕は確かで、注意深くなめらかな操作をした。それも気に入った点のひとつだが、家福が彼女を採用した理由のひとつが容貌だった。「どのような見地から見ても美人とは言え」ず、「ひどく素っ気ない顔をしていた」。そして無口で、無表情だった。彼女が女性としての魅力に欠けているおかげで、家福は気後れせずに接することができる。

彼のクルマは、「サーブ900カブリオレ」である。12年乗り続け、走行距離は10万キロを超えている。この物語の時代は明示されていないが、リアルタイムの話だとすると中古で購入したことになる。サーブ900が販売されたのは初代が1978年から1993年で、2代目も1997年までだ。

サーブ900カブリオレは、バブル期の象徴のようなクルマだった。「BMW 3シリーズ」が“六本木のカローラ”などと言われていた頃である。いわゆる外車が東京の街を席巻し始めていたが、サーブ900の派手なたたずまいと異物感は別格だった。当時の日本で最も位の高い女性であったスチュワーデス(現在のCA)は、なぜか、みんな黄色のカブリオレに乗っていると信じられていた。

この小説のサーブも黄色である。デビュー当時の村上はクルマの知識が乏しかったが、80年代の後半あたりから自動車マニアになっていく。きっとその頃路上で見かけた黄色いサーブの印象が、彼の中に強く残っていたのだろう。

「サーブ900 カブリオレ」
スウェーデンの航空機メーカー、サーブが、1947年に自動車部門を設立した。1978年に「900」を発売し、特に「カブリオレ」が世界中で人気を博す。しかし、会社自体は1990年にGMと提携し、2000年には完全子会社となる。900の2代目は、オペルのプラットフォームを利用している。2009年にはGMの破綻を受けて売却交渉が行われ、経営再建を図るものの迷走する。2013年12月になって、ようやくトロルヘッタンでの自動車製造が再開された。(写真は初代)


    「サーブ900 カブリオレ」
    スウェーデンの航空機メーカー、サーブが、1947年に自動車部門を設立した。1978年に「900」を発売し、特に「カブリオレ」が世界中で人気を博す。しかし、会社自体は1990年にGMと提携し、2000年には完全子会社となる。900の2代目は、オペルのプラットフォームを利用している。2009年にはGMの破綻を受けて売却交渉が行われ、経営再建を図るものの迷走する。2013年12月になって、ようやくトロルヘッタンでの自動車製造が再開された。(写真は初代)
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鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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