クルマ選びよりビックな計画

なんとエンスージアスト度数の低いことよ、と、今回もボクは心の中で嘆いた。だが、義父の昔話は、意外な方向に展開していった。

本人によれば、19歳のとき、東京都立川市にあった短大の英文科で学ぶ傍ら、夜は同じ市内の米軍基地で、倉庫番のアルバイトを始めたという。そのとき慣れた英会話を武器に2年後、日本に支店が開設されることになった米国系銀行に入行することになる。配属されたのは、米軍横田基地内の支店だった。休日には米軍基地内の教会で、通訳のボランティアをした。やがてその教会で、同じく通訳をしていた友人と意気投合。4年後の1956年、彼らは2人でアメリカ渡航計画をたてる。

航空券は極めて高価な時代である。貨物船内の余剰船室で海を渡る決意をした。実際、今でも義父の家の引き出しには、当時貨物海運会社から取り寄せた見積書が残っている。いっぽうで従軍牧師から、米国入国に必要だった推薦状も手に入れた。そう、クルマの選択などより、もっとビッグなことを企てていたのである。

友人は義父より先に渡米し、南カリフォルニアの神学校に入学した。義父は彼から「アメリカではカズハル(義父の名前)の住居も、当面の生活を支える皿洗いのバイトも確保できる」という手紙を受け取り、米国に旅立つばかりとなった。

ところが、である。義父は、その従軍牧師の近所に住んでいた若い娘と恋におちてしまう。そればかりか、米国行きの代わりに結婚を選び、基地内で銀行員生活を続ける道を選んだ。

いうまでもなく、その娘とは、2年前に他界したボクの義母である。もし義父が早くアメリカに渡ってしまっていたら義母とも出会わず、女房もいなかったわけだ。「クルマ無関心家族」などと散々書いてしまったものの、思わず義父に頭を垂れたボクであった。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

こちらも親戚の家の初代「日産サニー」。
こちらも親戚の家の初代「日産サニー」。 拡大
1980年、高校時代の女房と、3代目「トヨタ・コロナマークII」
1980年、高校時代の女房と、3代目「トヨタ・コロナマークII」 拡大
女房の家のモータリゼーション前夜。同僚のピニンファリーナデザインの2代目「日産ブルーバード」で会社の仲間と旅行したとき。右から3番目が義父。
女房の家のモータリゼーション前夜。同僚のピニンファリーナデザインの2代目「日産ブルーバード」で会社の仲間と旅行したとき。右から3番目が義父。 拡大
1956年。友人と当時25歳の義父(写真右)。友人の渡米前に、写真館で記念撮影したもの。
1956年。友人と当時25歳の義父(写真右)。友人の渡米前に、写真館で記念撮影したもの。 拡大
海運会社各社からとった乗船料金見積書と、従軍牧師による渡航用推薦状。
海運会社各社からとった乗船料金見積書と、従軍牧師による渡航用推薦状。 拡大
女房からiTunes同期の指導を受ける82歳の義父。2013年12月撮影。
女房からiTunes同期の指導を受ける82歳の義父。2013年12月撮影。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。21年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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