ベルトーネの功績

ベルトーネ中興の祖・故ヌッチオ・ベルトーネは、イタリアのカーデザイン界に独特のかたちで貢献した人物といえる。彼自身はデザイナーではなく、古参OBによると、社内ではラジオニェーレ(イタリア語で商業専門学校卒業者に与えられる敬称)と呼ばれていた。

いっぽうで若い才能を見いだすことに関しては、天才的ともいえる感覚を持ち合わせていた。彼に発掘された人材のなかで、“出世頭”はジョルジェット・ジウジアーロだ。彼がベルトーネのチーフデザイナーとして採用されたのは、わずか21歳のときだった。その後も、ヌッチオはさまざまなデザイナーを育ててきた。そのすべての名を記したいところだが、会社を去ったいきさつや、退職後のベルトーネとの関係は人それぞれという、大人の事情が絡むので、差し控えておく。

だが、ボクが知る彼らの大半は、自分のデザイナー人生の出発点がベルトーネであることを今も誇らしく語り、全員が古巣の近況を「極めて残念だ」と憂う。
カーデザインのみならず工業デザイン界に、逸材を送り出したという点で、ベルトーネの存在は戦後イタリア史にとって、忘れることができないものがある。

ところで、2009年の新生ベルトーネ発足とともにデザインダイレクターとして採用されたマイケル・ロビンソンは、経営危機をきっかけに2013年末ベルトーネを去り、「EDデザイン」という新会社のCEO兼デザインダイレクターとして再出発した。
アメリカ人の彼がかつて筆者に語ったところによると、学生時代シアトルの図書館でベルトーネの1970年コンセプトカー「ストラトス・ゼロ」を紹介した本を偶然見つけ、カーデザイナーを志したという。
それだけにベルトーネの再興を助けながら、去ることを決断した彼の心中は、想像に余りある。せめて、スティーレ・ベルトーネ時代のロビンソン作品に魅了された少年の誰かが、彼と同じようにカーデザイナーを志すことを願おうではないか。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

2010年「アルファ・ロメオ・パンディオン」。2010年、新生「スティーレ・ベルトーネ」として、ジュネーブショーに2年ぶりの復帰を果たす。マイケル・ロビンソンのもとで製作された初の作品。
2010年「アルファ・ロメオ・パンディオン」。2010年、新生「スティーレ・ベルトーネ」として、ジュネーブショーに2年ぶりの復帰を果たす。マイケル・ロビンソンのもとで製作された初の作品。 拡大
創業99年目の2011年に作られた「ジャガーB99」。デザインは、ジャガーへのラブコールの意味が込められていたが、採用には至らなかった。

創業99年目の2011年に作られた「ジャガーB99」。デザインは、ジャガーへのラブコールの意味が込められていたが、採用には至らなかった。
    
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2012年創業100周年を記念して、2代目オーナーの名前を冠した「ヌッチオ」。マイケル・ロビンソンのもと、1970年「ストラトス・ゼロ」をはじめとする往年のコンセプトカーのエッセンスを取り込んだ。
2012年創業100周年を記念して、2代目オーナーの名前を冠した「ヌッチオ」。マイケル・ロビンソンのもと、1970年「ストラトス・ゼロ」をはじめとする往年のコンセプトカーのエッセンスを取り込んだ。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。19年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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