がんばれ、パレスチナ人お父さんドライバー

市街に向かう高速道路に入ってまもなく、30代前半とおぼしきそのドライバーさんは一冊の雑誌を渡してくれた。見ると『マリ・クレール』の中国版である。表紙の中国人女性モデルがファッション・ウイークでパリ滞在中、彼は事実上お抱えドライバーに指名されていたらしい。「さっき、次の仕事場所であるイタリアに旅立ちましたよ」と教えてくれた。
「ということは、少し前まで、このモデルさんがボクの席に座ってたってこと?」というと、彼は得意げにうなずいた。
「雑誌、差し上げます」としきりに勧めるので聞いてみると、彼はボクが中国語をすらすら読めると勘違いしていたことが判明した。

やがてパリ市街に入ると、夕方の渋滞にはまってしまった。
ドライバー氏と再び会話が始まる。聞けば彼はパレスチナ人だがエジプトのカイロで長年を過ごし、パリに移り住んでからレストランで働きながら車を買ったのだという。「インシグニアは、車内は広いし、スタート&ストップも付いてて、とてもいいですよ」
今はウーバーともうひとつ別の配車サービスに登録し、ふたつのスマートフォンを駆使しながら仕事をこなしている。
「リラックスする音楽をかけましょう」と言って、iPhoneを操作してかけてくれたのはレバノン人歌手の曲だった。

家には奥さんと、ふたりの子供がいるという。「普段の生活で子供たちはフランス語主体。私としては、さまざまな国で使えるアラビア語をもっと勉強してほしいのですが」と。
今夏は家族そろってフランス西部の港町ラ・ロシェルでバカンスを過ごしたという。そのとき撮った家族写真をスマートフォンの画面に呼び出し、うれしそうに見せてくれた。

15区の貸しアパルトマンまでの所要時間は56分。かなり時間が掛かってしまったが、料金はアプリ上の概算どおり35ユーロだった。すでに登録してあるクレジットカードで自動的に決済が行われるので、降車時にはカードを提示することさえしなくてよい。
チップに関して明確な規定はないが、事前の情報によると、欧州では「料金に込み」というのが大方の解釈らしい。
ただし走行中にドライバー氏が何気なく話していたところによると、例の中国人美人モデルからは人民元でチップをもらったそうだ。そのついでに「ユーロに換算するといくらでしょう?」と尋ねられた。
そのときは「だからボクは中国の人じゃないんだってば!」と口に出かけたが、日本人代表として、チップを渡すことに決めた。財布の底に残っていたわずかなユーロ硬貨をかき集め、「これでコーヒーでも飲んでください」と渡した。

35ユーロはバスより高いが、ボク同様異国で奮闘している外国人からの「ファイト分けてもらい代」と思えばよい。もちろんパリでは普通のタクシーでも外国人に遭遇する確率はきわめて高い。しかし車内が清潔で対応も丁寧なクルマに当たるとは限らない。そう考えると、ウーバーの料金は十分納得できるものである。
頑張るパレスチナ人お父さんドライバーは、次の客のために後席を整えてから、ビルの谷間にエッフェル塔が光る夜の15区へと消えていった。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、OPEL)

ブレがひどくて恐縮だが、後席アームレストの様子。ミネラルウオーター、キャンディー(ふたの中にはチョコも)、そして今朝まで乗車していたというモデルが表紙を務める『マリ・クレール』中国版。
ブレがひどくて恐縮だが、後席アームレストの様子。ミネラルウオーター、キャンディー(ふたの中にはチョコも)、そして今朝まで乗車していたというモデルが表紙を務める『マリ・クレール』中国版。 拡大
前席をのぞく。ウーバーの場合、車両装備の投資としてはスマートフォンひとつでよいわけである。
前席をのぞく。ウーバーの場合、車両装備の投資としてはスマートフォンひとつでよいわけである。 拡大
足元を見れば、シガーライターソケットにUSBアダプターがささり、iPhone用の充電ケーブルが提供されていた。
足元を見れば、シガーライターソケットにUSBアダプターがささり、iPhone用の充電ケーブルが提供されていた。 拡大
ドライバーはパレスチナの人だった。夕暮れ迫るなか、おすすめ歌手の切ないメロディーが車内に流れる。
ドライバーはパレスチナの人だった。夕暮れ迫るなか、おすすめ歌手の切ないメロディーが車内に流れる。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。19年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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