ふりかえれば波乱万丈

沼:でもさあ、60年代に海外までレースを見に行くなんて、巨匠は相当稼いでたんだろうね。20代の若さで設立したカーアクセサリー会社のレーシングメイトが当たって。
松:なんたって当時はコープオリンピア(※注)に住んでたっていうから。
沼:今で言うヒルズ族だね。ちょっと古いか(笑)。とにかくバリバリの青年実業家だったわけだ。
松:最終的には経営破綻して巨匠は巨額の負債を背負い、大変な目に遭った。でもレーシングメイトというブランドは、すごく進んでいたと思うんだけれど。

沼:そのとおり。レーシングメイトはドレスアップやチューニングパーツからウエア類までトータルでプロデュースしていた。そんなアフターパーツメーカー、今でもないよ。
松:ただそろえていただけじゃないし。商品デザインから広告まで、すべて当時の最先端のセンスでまとめていたでしょう?

沼:そうだね。ウエアでは若者に大人気だったブランドのVAN、パーツではスズキと、今で言うダブルネーム、コラボレーションを早くも実現していた。
松:クルマはスズキの「フロンテ」だっけ?
沼:うん。68年に出た軽スポーツセダンの「フロンテSS」用のドレスアップ/チューニングパーツを作り、デモカーを東京モーターショーのスズキのブースにも出展していた。

松:東京オートサロンで見られるようなアフターパーツメーカーと自動車メーカーのコラボを、半世紀近く前にすでにやってたわけですね。
沼:早すぎたのかもしれない。レーシングメイトの失敗に懲りて二度とビジネスには手を出さなかったけれど、巨匠は時代を読み取る見事な嗅覚と実行力も持ってたんだな。
松:本人は「好きなクルマをビジネスに結びつけられないかと考えた結果が、たまたま当たっただけ」と言ってたけど。

沼:で、レーシングメイト倒産後、コープオリンピアから一転、狭いアパート暮らしの不遇時代に無理して買った初代「フォルクスワーゲン・ゴルフ」を評価基準として書いた、『間違いだらけのクルマ選び』が大当たりして、自動車評論家・徳大寺有恒が誕生した。

松:9回裏二死からの代打逆転サヨナラ満塁ホームランみたいというか、まるで不死鳥のようによみがえった(笑)。
沼:76年の11月下旬に出した1冊目と、それが売れたんで急きょ翌77年に出した続編を合わせた発行部数は120万部で、その年のベストセラー書籍になっちゃったんだから。自動車関連本としては、まさに空前絶後。ちなみに先日、絶筆となる41冊目の2015年版が出たんだけど、1冊目から40冊目までの累計部数は652万部だってさ。

松:部数も大変なものだけど、タイトルにちなんだ「間違いだらけの○○」とか「間違いだらけの○○選び」という言い方は流行語になって、今も慣用句として使われているでしょう? それがすごいと思う。
沼:それだけ強いインパクトを世間に与えたってことだよね。しかしまあ、天国から地獄、そしてまた天国。波乱万丈、そのままTVドラマや映画になりそうなくらいドラマチックな人生だよなあ。
後編につづく

注)コープオリンピア
原宿駅近く、表参道に面して建つ高級マンションのはしり。竣工は1965年で、名称は前年に開かれた東京オリンピックにちなむ。集中冷暖房を備え、屋上にはプールもあった。

(語り=松本英雄&沼田 亨/まとめ=沼田 亨)

→徳大寺有恒&松本英雄がおくる『webCG』の試乗インプレッション・アーカイブはこちらから

「レーシングメイト」の名を広めた、1967年発行の「ホンダN360」用パーツのカタログより。
「レーシングメイト」の名を広めた、1967年発行の「ホンダN360」用パーツのカタログより。
    拡大
「レーシングメイト」1968年版カタログの、バッグや傘などを紹介したページから。
「レーシングメイト」1968年版カタログの、バッグや傘などを紹介したページから。
    拡大
レーシングメイトとスズキがコラボした「フロンテSS」用スポーツキットのカタログより。
レーシングメイトとスズキがコラボした「フロンテSS」用スポーツキットのカタログより。
    拡大
『間違いだらけのクルマ選び』の評価基準となり、徳大寺さんに幸福を運んだ黄色い初代「フォルクスワーゲン・ゴルフ」。
『間違いだらけのクルマ選び』の評価基準となり、徳大寺さんに幸福を運んだ黄色い初代「フォルクスワーゲン・ゴルフ」。
    拡大
1976年11月に発行された『間違いだらけのクルマ選び』初版の表紙。
1976年11月に発行された『間違いだらけのクルマ選び』初版の表紙。
    拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事