根気のいる実験

さて、今回の「120㎞/hへ」引き上げ問題である。
制限速度を引き上げるにしても、なぜ120km/hなのか?
そのわけは設計速度に関係がある。

その昔、その昔というのは例によって交通事故が多発していた時代、中央自動車道である実験をやってみた。ずいぶん手間のかかる作業だったけれど、東京の三鷹料金所から愛知県の小牧ジャンクションまでの全線を、制限速度をきっちり守って往復してみたら、何台の後続車に抜かれ、何台の先行車を抜くか、それを数えてみたのだ。
知ってのとおり中央道の制限速度は全線80km/h。トンネル内は70km/h区間もある。
ずいぶん低く抑えた最高速度だが、それを厳密に守って走った。

で、結果はというと、私が抜いたクルマは33台(往路21台、復路12台)。そのうちの14台(往路12台、復路4台)は重量物を積載したトラックが登坂車線を走っているときのもので、道路が平たんになってから3台に抜き返された。
一方、私のクルマを追い抜いていった後続車の数はあきれるほど多かった。オートバイに抜かれ、トラックに抜かれ、路線バスに抜かれ、軽自動車の赤帽運送のトラックにも抜き去られた。その数、往復で1465台(往路675台、復路790台)。単純計算すると500m進むごとに、約22秒ごとに1台の後続車に抜かれたことになる。
統計学では「まれなことは起こらない」と考えるわけだから、抜いたクルマはほとんどなく、逆に1400台以上に抜かれたという、つまり、制限速度80km/hを律義に守って走っているクルマはほとんどないという傾向は、私のやった実験に限って起きたまれな事態ではなく、中央道全体にいえる傾向なのだと考えるべきなのだ。

何でこんな根気のいる実験をしたのかというと、まどろっこしい手法ではあったけれど、中央道の制限速度が実態に合ってないという事実を数字で証明したかったからだ。その結果を警察庁の高速道路課に示し、制限速度の見直しを考えないのかと質問するためだった。

このときの取材でわかったのは、“絶対”なのは設計速度だという事実だった。
中央道の(実験のために走った区間)設計速度は全線にわたって80km/h。警察庁は設計速度を上まわる制限速度は断固として認めない立場をとっている。だから中央道は、何があっても最高速度が80km/hを超えることはないのである。

つまり?
つまり、制限速度の引き上げが予定されている2つの区間・路線の設計速度は120km/h。だから制限速度はどんなに引き上げても上限は120km/h。引き上げの結果、それでも安全だと確認されたとしても、将来は130km/hに、なんてことは(“設計速度が絶対”の立場を変えない限り)あり得ない。

中央道の実験の際、中央道の80㎞/h規制区間で速度オーバーで検挙されたドライバーの速度を知りたくて、違反容疑を不服として裁判で争った事件の記録を調べてみた。そのときの速度取り締まりで検挙されたクルマは18台。129㎞/hを最高に120㎞/hが2台、119㎞/h、114㎞/h(2台)、113㎞/hと続き、残りの11台は100㎞/h台だった。ほんの一部の例外はあるにしても、検挙された大半のドライバーは「とてつもなく危険な速度」で走っていたわけではないという事実がわかった。
中央道の実験の際、中央道の80㎞/h規制区間で速度オーバーで検挙されたドライバーの速度を知りたくて、違反容疑を不服として裁判で争った事件の記録を調べてみた。そのときの速度取り締まりで検挙されたクルマは18台。129㎞/hを最高に120㎞/hが2台、119㎞/h、114㎞/h(2台)、113㎞/hと続き、残りの11台は100㎞/h台だった。ほんの一部の例外はあるにしても、検挙された大半のドライバーは「とてつもなく危険な速度」で走っていたわけではないという事実がわかった。 拡大
矢貫 隆

矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。

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