“車上生活”の老女を許容したかつての英国

原題は『Lady in the van』で、クルマに住む老女が主人公だ。劇作家のアラン・ベネットが経験した実話が元になっている。1970年ごろ、彼が住むロンドンのカムデンタウンに、ボロボロのクルマに乗った名物おばあちゃんがいた。「ベッドフォードCA」という商用車で、前席の両側にスライドドアを備えている。荷室が彼女の生活空間となっていて、動くゴミ屋敷のようだ。ミス・シェパードと呼ばれているが、本名かどうかは誰も知らない。

少しずつ移動しながら路肩に止めていたのだが、規制が厳しくなって路上駐車が不可能になった。一時的な避難場所としてベネットが庭を提供すると、彼女は居座って出ていかない。1974年から1989年まで、ずっと庭に止めたクルマの中で暮らしたのだ。ベネットがミス・シェパードを追い出さなかったのは、親切心からだとは言い切れない。劇作家は何でもネタにするからだ。彼の心の中の葛藤は、映画に作家と生活者という2人のベネットが登場することで表現されている。

優しい言葉をかけたり食べ物を差し入れたりしても、ミス・シェパードは感謝するどころか罵倒で返す始末だ。“尿と湿った新聞紙、ベビーパウダーを混ぜたような”と形容される悪臭を放ち、かわいらしさのかけらもない。それでも近隣の人たちは排除することなく親身に接する。サッチャー政権誕生前はリベラルで寛容な社会だったのだ。40年後に移民への反発からEU離脱を選択する国とは思えないおおらかさである。

ミス・シェパードはクルマの色が気に入らないらしく、自分で黄色に塗り替えてしまう。サビが進行して暮らせなくなると別のワンボックス車を調達し、三輪自動車の「リライアント・ロビン」まで手に入れる。何のこだわりか、どちらも黄色いペンキで全塗装してしまった。

15年間車中泊を続け、ミス・シェパードはクルマの中で最期の時を迎える。路上で見かけるクルマは、「シトロエンDS」や「ボルボ120」から「アウディ100」や「BMW 318i」に変わっていた。時が止まっていたのは彼女のクルマの中だけだったのだ。

(鈴木真人)
 

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『ミス・シェパードをお手本に』
2016年12月10日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。
配給:ハーク
『ミス・シェパードをお手本に』
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鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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