恋人には向かないトラクシオンアヴァン

モロッコでマックスが乗っていたクルマは、「トラクシオンアヴァン」である。1934年に登場したモデルで、当時としては飛び抜けて先進的な機構を持っていた。1942年が舞台なので、映画で使われているのは後期型の「11」か「15」だと思われる。6気筒エンジンを積む15であるとすれば、全長約4.8m、全幅約1.8mという当時としては大型のボディーである。ホイールベースは3mを超えていた。

それでも身長180cmと169cmのカップルにはいささか狭かったのではないだろうか。2列目シートを格納した上にユーティリティーボードを使って広大なセミダブルベッドを出現させる「ホンダ・フリード+」のような便利なクルマではないのだ。そこまで恋愛仕様ではなくても、現代のクルマならシートを倒してフラットにするくらいのことはできる。自動車は恋人たちにとっての利便性を高める方向に進化してきた。

固定シートのクルマは、マン喫やカラオケルームよりも使い勝手が悪かったはずである。情熱はあらゆる困難を超えて燃え上がる。カメラは車内を縦横無尽に飛び回り、ついには外に出てしまう。今後の運命を暗示するかのように、砂嵐が近づいてきた。空はにわかにかき曇り、2人の乗った「トラクシオンアヴァン」は砂に包まれて見えなくなっていく……。

クルマの歴史に関心のある人は、心配になるかもしれない。トラクシオンアヴァンとは前輪駆動車という意味のフランス語だ。FRが常識だった時代に、果敢に新技術に取り組んだことから生まれた名前である。時代を先取りした名車だが、砂漠の走行性能が高かったとは思えない。フロント荷重が過大で、細いタイヤは砂に埋もれてしまうだろう。高速直進性の高さは、砂漠では役に立たない。

(c)2016 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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「シトロエン・トラクシオンアヴァン」
早くからFFの駆動方式の合理性は認識されていたものの、実用化は難航していた。そんな中で、いち早く実用化を果たしたのがシトロエンで、ドライブシャフトに使う精度の高い等速ジョイントの開発にめどをつけ、1934年に「トラクシオンアヴァン」こと「7CV」を発表する。その後、より強力なエンジンを搭載した「11CV」「15CV」へと発展し、1957年までに合計約75万台が製造された。
「シトロエン・トラクシオンアヴァン」
	早くからFFの駆動方式の合理性は認識されていたものの、実用化は難航していた。そんな中で、いち早く実用化を果たしたのがシトロエンで、ドライブシャフトに使う精度の高い等速ジョイントの開発にめどをつけ、1934年に「トラクシオンアヴァン」こと「7CV」を発表する。その後、より強力なエンジンを搭載した「11CV」「15CV」へと発展し、1957年までに合計約75万台が製造された。拡大
鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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