自ら会社を起こして自動車製造を目指す 

子供の頃から機械いじりが好きだったフォードは、16歳でディアボーンの生家を出てデトロイトに行く。機械工となり、工場を渡り歩きながら腕を磨いていった。1891年にはエジソン電気会社に入社し、2年後には技師長に昇進する。電気の技術に精通して将来を嘱望されたが、彼にはほかにもっとやりたいことがあった。ガソリン自動車の開発である。仕事から帰ると自宅の片隅を改造した作業場で研究を続け、1896年に第1号車を完成させた。自転車のタイヤを4つ付けた簡易な構造の自動車で、「クォドリシクル」と名付けた。

エジソンの助言を受け、フォードは改良モデルの開発にとりかかる。動力伝達の方法や電気関係の装備について、彼らはテクニカルな議論を重ねた。もともとはスターターと発電機を一体化する計画だったが、エジソンの意見を受け入れて別々のユニットに分ける方式に変更する。2人はプライベートでも親交を深め、互いに尊重し合う関係になっていった。しかし1899年、フォードはエジソン電気会社を辞する。デトロイト自動車会社を設立し、本格的に自動車づくりを始めたのだ。

事業を始めるにあたり、デトロイトの実業家たちから資金の提供を受けた。そのことが会社経営に混乱をもたらす。フォードは農民たちに安価で使い勝手のいい乗り物を提供したいと考えていたのだが、実業家たちが彼の構想に理解を示すことはなかった。その頃はよほどの金持ちでなければ自動車には手を出せなかった時代である。できあがった製品は満足できる性能を得られず、しかも高価格だった。めぼしい実績を残せぬまま、最初の会社は1901年に解散してしまう。

次にフォードは、クルマを宣伝するためにモータースポーツでの勝利を利用しようと考えた。デトロイトで行われたレースに彼自身が出場して優勝を果たすと、もくろみどおり再び出資者が現れた。ヘンリー・フォード・カンパニーが設立され、新たな事業が始まる。しかし、すぐにまたフォードと出資者たちとの考え方の違いが露呈した。フォードはここでも大衆車の製造を目指したが、出資者たちは高価格なモデルを売って手っ取り早く利益を得ようと考えたのである。フォードは会社を去り、ヘンリー・リーランドが技師長を継いだ。会社名はキャデラック社に改められ、後にゼネラルモーターズ(GM)に合流していくことになる。

ミシガン州ディアボーンにあったフォードの生家。現在ではヘンリー・フォード博物館が位置するデトロイトのグリーンフィールド・ビレッジに移築されている。
ミシガン州ディアボーンにあったフォードの生家。現在ではヘンリー・フォード博物館が位置するデトロイトのグリーンフィールド・ビレッジに移築されている。拡大
フォードは1896年7月4日に、自宅の製作所で最初の試作車「クォドリシクル」を完成させた。
フォードは1896年7月4日に、自宅の製作所で最初の試作車「クォドリシクル」を完成させた。拡大
フォードが自らステアリングを握ったとされる、「Sweepstakes(スウィープステークス)」と呼ばれるレースカー。1901年10月10日、フォードはデトロイトで行われたオーバルレースで勝利し、多くの支援者を得た。
フォードが自らステアリングを握ったとされる、「Sweepstakes(スウィープステークス)」と呼ばれるレースカー。1901年10月10日、フォードはデトロイトで行われたオーバルレースで勝利し、多くの支援者を得た。拡大
キャデラックにとって初のモデルとなった「A型ランナバウト」(1903年)。
キャデラックにとって初のモデルとなった「A型ランナバウト」(1903年)。拡大
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