自動車の歴史を変えたT型

フォードはあきらめなかった。大排気量のレーシングカー「999」で好成績をあげると、今度は石炭業者のマルコムソンや機械メーカーのダッジ兄弟などが資金提供に手を上げた。1903年、彼はフォード・モーター・カンパニーを設立する。初めて作った「A型」がキャデラック社のモデルとよく似ていたのは、どちらもフォードが設計したからだ。彼は改良を重ねるたびにモデル名を「B型」「C型」と順に名づけていった。

またしても出資者たちとの意見の相違が明らかになっていくが、フォードは前回の経験を生かして周到に事を進めていた。利益が出ると自分の出資を増やしていき、やがて株式の大半を押さえる。ワンマン体制を築き、フォードの意思が会社の方針となる状況を作っていった。彼の陣頭指揮で作られた小型車の「N型」がヒットすると、豊富な資金を得ていよいよ計画を実行する条件が整った。1908年にデビューしたT型が、自動車の歴史を変えることになる。

フォードの構想は、単に製品としての自動車だけを対象にしていたのではない。産業構造を変え、社会を変革することまでを視野に入れていた。彼は産業の発展が人々に自由をもたらし、企業の成長とともに労働者も豊かになると考えていた。そして、フォード社こそがその理念を現実化したという強烈な自負を持っていた。

1926年に書かれた著書『藁(わら)のハンドル』では、誇らしげにこれまでの実績を回顧している。すでに1300万台以上のT型フォードが生産され、フォード社は20万人以上の従業員を抱える大企業に発展していた。関連会社も含めると60万人もの人々が恩恵を受け、家族を入れればフォード社が300万人を養っている計算だ。成功と繁栄をもたらしたのは、「小型で、丈夫で、シンプルな自動車を安価につくり、しかも、その製造にあたって高賃金を支払おうというアイデア」だったという。

フォード社の真の発展は1914年から始まったとも記している。この年、それまで2ドルあまりだった労働者の最低賃金を5ドルに引き上げた。豊かになった従業員は、購買力が高まることで顧客としても有力な存在になっていく。生産が拡大すると価格が低下し、製品を購入できる層がさらに増加する。自動車生産が起爆剤となって影響はアメリカ社会全体に波及し、国全体が豊かになっていったというのだ。

フォードが開発したレーシングカー「999」。16.2リッター(!)の直4エンジンを搭載しており、100馬力の最高出力を発生した。
フォードが開発したレーシングカー「999」。16.2リッター(!)の直4エンジンを搭載しており、100馬力の最高出力を発生した。拡大
「フォードA型」
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1908年10月1日に発表された「フォードT型」。1927年5月31日に生産終了するまでに、1500万7033台が世に送り出された。写真は最初期の1908年型。
1908年10月1日に発表された「フォードT型」。1927年5月31日に生産終了するまでに、1500万7033台が世に送り出された。写真は最初期の1908年型。拡大
ハイランドパーク工場の組み立てラインの様子(1914年)。ベルトコンベアーを用いた流れ作業の導入により、フォードは過去に例のない自動車の大量生産を実現した。
ハイランドパーク工場の組み立てラインの様子(1914年)。ベルトコンベアーを用いた流れ作業の導入により、フォードは過去に例のない自動車の大量生産を実現した。拡大
1914年1月5日、フォードは1日の労働時間を8時間に短縮するとともに、22歳以上のノンサラリー労働者の日給を5ドルに引き上げると発表。翌日には、雇用を求める労働者がハイランドパーク工場に殺到したという。
1914年1月5日、フォードは1日の労働時間を8時間に短縮するとともに、22歳以上のノンサラリー労働者の日給を5ドルに引き上げると発表。翌日には、雇用を求める労働者がハイランドパーク工場に殺到したという。拡大
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