ダイハツはもう一度やりたい

エンツォ氏は、「初代『レガシィ』、『リベロ(日本名:ドミンゴ)』、『インプレッサ』、そして『ヴィヴィオ』……」と、初期に扱った車名を次々と挙げてくれた。

休日になると、お客さんが集まりそうなゴルフ場などの場を借りて、さかんに展示を繰り返したことで、地道に顧客を開拓していった。

「修理工場やルノー時代からのお客さんにも買ってもらえました。加えて、90年代に入ってスバルがWRC(世界ラリー選手権)に参戦したことも追い風になりましたね」

しかしエンツォ氏のビジネスは、常に順風満帆というわけではなかった。メーカーの海外政策にたびたび翻弄(ほんろう)されてきたのも事実だった。2013年12月、兄の店がホンダとともに扱っていたGMデーウ製シボレーは、GMの国際戦略変更により欧州販売をとりやめることになった。そのため――のちにグループの大きな幹になるのだが――代わりにキアの代理権を手に入れて再スタートすることを余儀なくされた。

エンツォ氏の店にも同様の問題が生じた。スバルの後に取り扱いを始めていたダイハツが2011年1月、欧州での新車販売を2013年1月末で打ち切ることを発表したのだ。

普及価格で広い顧客に人気があったダイハツは、ニッチな顧客に訴求した高価格なスバルとともに良好な“両輪”となっていた。それが欠落することは、エンツォ氏の店にとって大きな痛手だった。

なにしろスバルの年間販売台数は当時50台から60台。これでは販売店の営業が成り立たない。「家族経営の小さなスバル販売店とは違い、従業員の生活がかかっていました」とエンツォ氏は振り返る。

ただ、彼自身はダイハツ車の完成度の高さを今もしっかりと覚えている。そして言葉の間から、もし欧州でダイハツが販売を再開することがあったら、再び喜んで扱いたいという気持ちをにじませた。

サービス工場の入り口に掲げられた看板。2013年1月に欧州での販売を終了したダイハツ車だが、その整備は継続されている。
サービス工場の入り口に掲げられた看板。2013年1月に欧州での販売を終了したダイハツ車だが、その整備は継続されている。拡大
サービス工場の内部。
サービス工場の内部。拡大
ダイハツ車の工具の壁掛けボードが今も!
ダイハツ車の工具の壁掛けボードが今も!拡大
これは、パーツ係を務めるステファノ氏の脇に置かれていた「スバル360」のスケールモデル。
これは、パーツ係を務めるステファノ氏の脇に置かれていた「スバル360」のスケールモデル。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。21年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

あなたにおすすめの記事
新着記事