4歳の誕生日プレゼントは父手作りのカート

1994年のシーズンは、セナにとって万全のスタートにはなっていなかった。第1戦ブラジルGP、第2戦パシフィックGPでは、ポールポジションを獲得したもののいずれもリタイアに終わっている。1988年から在籍していたマクラーレンを離れ、このシーズンからウィリアムズに移っていた。マクラーレンでは3度チャンピオンに輝いていたが、最後の2年はランキング4位と2位だった。ホンダが撤退してF1の勢力図が一変する中、新チームでの再起を期していたのだ。

1987年にロータスでランキング3位となり、翌年にロータスと並んでホンダエンジンを供給されることになったマクラーレンに移籍。鈴鹿でグランプリが開催されるようになり、ホンダとセナが組むことで日本でのF1人気は沸騰した。哀愁を帯びたまなざしを持つブラジル人ドライバーは「音速の貴公子」と呼ばれ、若い女性からも熱烈な支持を得た。

ブラジルはサッカーの国として知られるが、モータースポーツにも同じくらいの熱量が注がれる。子供たちの夢は、サッカー選手かF1ドライバーなのだ。セナの運命は、4歳の誕生日に定まった。父親から手作りのカートを贈られたのだ。クルマ好きの父の思惑をはるかに超えて、セナはレースにのめり込んでいく。1973年、13歳で初めて公式カートレースに出場し、いきなり優勝を手にした。才能は誰の目にも明らかだった。

カートに飽き足らず、1981年にイギリスに渡ってフォーミュラ・フォード1600に参戦する。フォーミュラでも才能を発揮して優勝を果たすが、資金不足に悩むことになる。実家は裕福だったが、父は援助を拒否した。ゆくゆくは息子に事業を継がせたいと思っていたからである。セナは自らスポンサーを集め、翌年にはフォーミュラ・フォード2000にステップアップ。1983年にはF3に参戦した。

1992年、1993年と、2年連続でドライバーとコンストラクターの両タイトルを独占したウィリアムズの強さに、セナはマクラーレンからの移籍を決意した。写真は1992年の日本グランプリにて、同年のシリーズチャンピオンとなったナイジェル・マンセルの「ウィリアムズFW14B」。
1992年、1993年と、2年連続でドライバーとコンストラクターの両タイトルを独占したウィリアムズの強さに、セナはマクラーレンからの移籍を決意した。写真は1992年の日本グランプリにて、同年のシリーズチャンピオンとなったナイジェル・マンセルの「ウィリアムズFW14B」。拡大
1988年にアイルトン・セナがドライブした「マクラーレンMP4/4」。この年のマクラーレンの強さは圧倒的で、16戦中15勝を挙げてコンストラクターズタイトルを獲得。セナもドライバーズタイトルに輝いた。
1988年にアイルトン・セナがドライブした「マクラーレンMP4/4」。この年のマクラーレンの強さは圧倒的で、16戦中15勝を挙げてコンストラクターズタイトルを獲得。セナもドライバーズタイトルに輝いた。拡大
アイルトン・セナは1973年に初めて公式なカートレースに挑戦。F3に臨む直前の1982年まで参戦を続けた。
アイルトン・セナは1973年に初めて公式なカートレースに挑戦。F3に臨む直前の1982年まで参戦を続けた。拡大
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