F3で圧倒的な走りを見せてF1へ

F1への登竜門といわれるこのカテゴリーでも、セナの実力は飛び抜けていた。開幕からの9連勝を含め、20戦中12勝を挙げてチャンピオンを獲得する。最終戦のマカオGPでも、ポールポジションからスタートして最初にフィニッシュした。ファステストラップを記録する完全優勝である。マーティン・ブランドルやゲルハルト・ベルガーも参戦していたが、まったく相手にならなかった。

才能を高く買ったフランク・ウィリアムズは、ドニントンパークにセナを呼んだ。「FW08C」をドライブさせてみると、軽く流したラップの記録が当時のコースレコードとなってしまった。F1がこの驚異の新人を放っておくはずがない。ウィリアムズを含め、複数のチームからオファーがあったのは当然だろう。

「ブラバム」が最有力といわれたが、セナが選んだのは有力チームとはいえない「トールマン」だった。ナンバーワンドライバーを務めていたネルソン・ピケが嫌がったことで、ブラバム入りが実現しなかったともいわれている。同じブラジル人でもピケはリオ・デ・ジャネイロ、セナはサンパウロ出身である。2つの都市は対抗意識が強く、カリオカとパウリスタは仲が悪いのだという。

トールマンは非力なマシンだったが、セナはモナコGPで鮮烈な走りを見せた。大雨の中でプッシュし続け、「マクラーレン・ポルシェ」に乗るプロストを追い詰めたのだ。予選タイムは2秒半ほど遅かったのに、ウエットコンディションでは1周ごとに差を数秒縮めていく。プロストの直後に迫ったが、無情にも赤旗が振られてレースは打ち切られた。セナはプロストが自らの勝利のために圧力をかけてレースを中止させたと受け取った。因縁の始まりである。

1982年のスポット参戦の後、1983年にF3への本格参戦を開始したアイルトン・セナ。しかし、1年目にして他を圧倒する速さを披露し、翌年には早くもF1に挑戦することとなった。
1982年のスポット参戦の後、1983年にF3への本格参戦を開始したアイルトン・セナ。しかし、1年目にして他を圧倒する速さを披露し、翌年には早くもF1に挑戦することとなった。拡大
ブラバムはF1ドライバーのジャック・ブラバムが興したレーシングチームであり、1980年代前半における有力チームのひとつだった。写真は1983年シーズンに投入された「ブラバムBT52」。ドライバーはネルソン・ピケである。
ブラバムはF1ドライバーのジャック・ブラバムが興したレーシングチームであり、1980年代前半における有力チームのひとつだった。写真は1983年シーズンに投入された「ブラバムBT52」。ドライバーはネルソン・ピケである。拡大
ブラジル人F1ドライバーのネルソン・ピケ。ブラバム、ウィリアムズ、ロータスと、さまざまなチームを渡り歩き、3度にわたりドライバーズタイトルを獲得している。
ブラジル人F1ドライバーのネルソン・ピケ。ブラバム、ウィリアムズ、ロータスと、さまざまなチームを渡り歩き、3度にわたりドライバーズタイトルを獲得している。拡大
4度のドライバーズタイトル獲得を果たしたフランス人ドライバーのアラン・プロスト。セナにとってはまさに因縁のライバルだった。
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