ブラジルGP優勝で見せた涙

1988年から、セナはそのプロストとともにマクラーレンで走ることになる。序列はつけず2人ともナンバーワンドライバーの扱いだったが、彼らが協調してレースに臨むことはなかった。行き違いや誤解が重なり、対立は深まっていく。1989年に鈴鹿で接触事故を起こしたことが決定的な亀裂を生み、プロストがフェラーリに移籍した1990年の鈴鹿では、セナが報復を果たすことになる。

1991年は最高の年となった。2年連続でチャンピオンを獲得したのだ。ただ、セナにとって一番うれしかったのはブラジルGPで初優勝を果たしたことだろう。母国グランプリとはなぜか相性が悪く、それまでは予選でいい走りを見せても、決勝では何かしらのトラブルが起きて涙をのんできたのだ。

この年も、インテルラゴスはセナに試練を与えた。1位で周回していた終盤、突如ギアトラブルが襲いかかったのだ。最後には6速以外のすべてのギアを失い、右手でレバーを必死に押さえながら走らざるを得なくなる。セナは死力を尽くし、迫ってくるリカルド・パトレーゼを2.991秒差でかわした。フィニッシュラインを越えたセナの無線からは、すすり泣くようなうめき声が聞こえてきた。

1992年、1993年のマクラーレンには十分な戦闘力がなく、セナは苦戦を強いられた。環境を変えたいと考えたのは自然な成り行きである。10年遅れでフランク・ウィリアムズのオファーを受け入れたのだ。理想的な準備を整えたように見えたが、2年の間に強力なライバルが頭角を現していた。ベネトンのミハエル・シューマッハーである。ブラジルGP、パシフィックGPを制したのは、この若者だった。

セナのFW16がタンブレロコーナーに300km/h以上のスピードで激突した時、すぐ後ろを走って一部始終を目撃したのはシューマッハーだった。彼はこのレースにも勝ち、勢いに乗って初のドライバーズタイトルを獲得する。ゆるやかに進むはずだった世代交代を、事故が一瞬にして進めてしまった。音速で人生を駆け抜けた天才は、悲劇の貴公子として永遠に記憶されることになった。

(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

1989年の日本GPで起きた、セナとプロストの接触事故の様子。プロストはリタイアし、セナもレース終了後に失格となった。この年、2人は激しいドライバーズタイトル争いを繰り広げていたが、この事件によりプロストのタイトル獲得がほぼ確定した。
1989年の日本GPで起きた、セナとプロストの接触事故の様子。プロストはリタイアし、セナもレース終了後に失格となった。この年、2人は激しいドライバーズタイトル争いを繰り広げていたが、この事件によりプロストのタイトル獲得がほぼ確定した。拡大
1991年、セナはV12エンジンを搭載したマクラーレンMP4/6を駆り、自身3度目のドライバーズタイトルを獲得する。これが、セナにとって最後のタイトルとなった。
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ミハエル・シューマッハーの加入とともに強さを発揮し始めたベネトンは、アパレル会社がトールマン(セナがF1デビューを果たしたチームである)を買収して作ったレーシングチームだった。写真は1993年シーズンに投入された、ミハエル・シューマッハーの「ベネトンB193」。
ミハエル・シューマッハーの加入とともに強さを発揮し始めたベネトンは、アパレル会社がトールマン(セナがF1デビューを果たしたチームである)を買収して作ったレーシングチームだった。写真は1993年シーズンに投入された、ミハエル・シューマッハーの「ベネトンB193」。拡大
1992年のベルギーGPにて、自身初のF1優勝を喜ぶミハエル・シューマッハー。後に一時代を築くシューマッハーが初めて年間タイトルを獲得したのは、セナが事故死した1994年のことだった。
1992年のベルギーGPにて、自身初のF1優勝を喜ぶミハエル・シューマッハー。後に一時代を築くシューマッハーが初めて年間タイトルを獲得したのは、セナが事故死した1994年のことだった。拡大
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