PV444は近代ボルボの礎

エスカレーターを上がって2階へ。こちらには1931年に登場した初の直列6気筒搭載車「651」、流線形のボディーをまとって500台だけ作られた1935年「PV36ストリームライン」などとともに、戦車も展示してあった。乗用車生産が軌道に乗ったのもつかの間、第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したことで軍需生産に従事せざるを得なかったようだ。

そんな中、ボルボは戦後を見据えて小型車の開発を進めていく。スウェーデンは第2次大戦では中立を貫いたが、周辺国は戦争によって疲弊しており、戦後は小型車が人気になると予想したからだ。これが1944年に誕生した「PV444」と後継車の「PV544」である。

戦後のボルボはアメリカへの輸出も積極的にこなすようになる。この過程で外部のコーチビルダーが手がけたオープンカーなどが生まれたが、ボルボはもっと本気のスポーツカーを作ろうとしていた。それが次の部屋に展示されていた「スポーツ(P1900)」と「P1800」だ。

このうちイタリアのカロッツェリア、フルアがデザインを描いた1960年発表のクーペ、P1800は、当初のイギリス・ジェンセン製から3年後にはボルボ自製の「1800S」、インジェクション装備の「1800E」を経て、1972年にはスポーツワゴンの「1800ES」に発展している。

博物館にはP1800、1800S、1800ESの3台をディスプレイ。このうち1800Sは、ロジャー・ムーア主演のテレビドラマ『セイント』に使われて注目を集めたことも紹介してあった。

手前のダークレッドの車両は「PV36」(1935~1938)。「カリオカ」の名でも知られる。1930年代の流行であった流線形を採用。
手前のダークレッドの車両は「PV36」(1935~1938)。「カリオカ」の名でも知られる。1930年代の流行であった流線形を採用。拡大
「PV444」(1946~1958)。ボルボで初めてモノコックボディーを採用。当初8000台の生産を予定していたが、結局、約20万台が生産される大ヒット作となった。
「PV444」(1946~1958)。ボルボで初めてモノコックボディーを採用。当初8000台の生産を予定していたが、結局、約20万台が生産される大ヒット作となった。拡大
左が「スポーツ」(1956~1957)で、右が「P1800」(1961~1972)。2シーターオープンのスポーツは「P1900」とも呼ばれ、わずか67台(一説には68台)が生産されるにとどまった。
左が「スポーツ」(1956~1957)で、右が「P1800」(1961~1972)。2シーターオープンのスポーツは「P1900」とも呼ばれ、わずか67台(一説には68台)が生産されるにとどまった。拡大
ボルボ・ミュージアムは、後世のために同社の歴史にかかわるものを保存し、それらを公にすることを目的に、1995年に開館した。住所/Arendal Skans, 405 08 Goteborg,Sweden 開館時間/10:00~17:00(月~金)、11:00~16:00(土、日) 休館日/12月23日~26日と12月31日、および1月1日。
ボルボ・ミュージアムは、後世のために同社の歴史にかかわるものを保存し、それらを公にすることを目的に、1995年に開館した。住所/Arendal Skans, 405 08 Goteborg,Sweden 開館時間/10:00~17:00(月~金)、11:00~16:00(土、日) 休館日/12月23日~26日と12月31日、および1月1日。拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事