速度の向上がもたらした空気との戦い

当時は鉄道車両に流線形が取り入れられるなど、デザインの新しい流れが生まれていた。空気抵抗とは何の関係もないカメラや冷蔵庫にまで流線形が適用されていたほどである。ブームの様相を呈していたが、人々はクルマの形に関しては保守的な感覚を捨てられなかったようだ。エアフローはデソート版が1936年、クライスラー版が1937年に生産中止となった。

ユーザーの購入動機にはならなかったものの、空気抵抗を軽減することは自動車にとって間違いなくメリットが大きい。ユーザーも次第に新しいスタイルに慣れていき、エアフローの示した方向性はその後の自動車デザインに大きな影響を与えることになる。

量産車として初めて流線形を取り入れたのはエアフローだったが、それまでにも空気抵抗を軽減するためのさまざまな試みがあった。初期の自動車はすべてオープンカーで、ドライバーはいや応なく空気との戦いを強いられる。顔や体で直接風圧を受け止めるのだから、空気抵抗が自動車にとって問題であることは誰もが経験的に知っていた。性能が向上してスピードが増すと、空気抵抗のデメリットは明白なものになる。100km/hの速度で走るということは、風速27.8m/sという台風並みの風にさらされることと同じだ。

1899年に自動車史上初の100km/h超えを果たした電気自動車「ジャメ・コンタント号」は、明らかに空気抵抗を意識した魚雷型のボディーを採用していた。ただし、ドライバーの上半身はむき出しで車輪にも覆いはなかったから、本当に効率的だったかどうかは疑問である。

第1次世界大戦で単葉機タウベの製造に携わったエドムント・ルンプラーは、1921年のベルリンモーターショーに奇妙な形の自動車を出展した。「トロップフェンワーゲン」と呼ばれるそのクルマは横から見るとボートのようで、真上から見ると雨滴型になっている。航空機工学に学んだデザインは注目を集めた。

後の自動車開発に大きな影響を及ぼしたのは、ツェッペリン飛行船工場の技師長だったパウル・ヤーライである。風洞実験によって空気力学を研究していた彼は、飛行機の主翼や飛行船をモチーフに自動車のボディーをデザインし、その内部にタイヤを収納することで空気抵抗を軽減しようとした。この理論を用いて、メルセデス・ベンツなどがヤーライ型と呼ばれるスポーツカーを製作する。マイバッハやアドラーなども、ヤーライの流線形を使ったモデルの生産を試みている。クライスラーもヤーライのパテントを買っており、エアフローのデザインもその影響を受けたものだった。

ともに1934年に誕生した「クライスラー・エアフロー」とユニオン・パシフィック鉄道の「M-10000」。1930年代は、さまざまな分野で流線形のデザインがもてはやされた。
ともに1934年に誕生した「クライスラー・エアフロー」とユニオン・パシフィック鉄道の「M-10000」。1930年代は、さまざまな分野で流線形のデザインがもてはやされた。拡大
世界で初めて100km/hを超えた自動車となった「ジャメ・コンタント号」。空力を考慮した砲弾型のボディーが特徴だったが、足まわりや乗員、運転席まわりの空気抵抗までは考えていなかったようだ。
世界で初めて100km/hを超えた自動車となった「ジャメ・コンタント号」。空力を考慮した砲弾型のボディーが特徴だったが、足まわりや乗員、運転席まわりの空気抵抗までは考えていなかったようだ。拡大
「トロップフェンワーゲン」の模型を前に、娘と語らうエドムント・ルンプラー。(写真=ドイツ技術博物館)
「トロップフェンワーゲン」の模型を前に、娘と語らうエドムント・ルンプラー。(写真=ドイツ技術博物館)拡大
ドレスデンのコーチビルダーにより、ヤーライの提唱する流線形のボディーが架装された「アウディ・タイプK」。
ドレスデンのコーチビルダーにより、ヤーライの提唱する流線形のボディーが架装された「アウディ・タイプK」。拡大
ブランデンブルク門を通るアウディの流線形自動車。シンプルな面構成なのでコンパクトに見えるが、実際には高級車のシャシーに丸いボディーを架装したため、かなり大柄なクルマとなっていた。
ブランデンブルク門を通るアウディの流線形自動車。シンプルな面構成なのでコンパクトに見えるが、実際には高級車のシャシーに丸いボディーを架装したため、かなり大柄なクルマとなっていた。拡大
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