マスキー法の制定と規制の後退

マスキー法の条文には、排出ガスの軽減に関して明確な規定が記されていた。主要な項目は、次のとおりである。

  • 1975年以降に製造される自動車から排出される一酸化炭素(CO)および炭化水素(HC)は、1970年~71年基準から少なくとも90%以上減少させなければならない。
  • 1976年以降に製造される自動車から排出される自動車のNOxは、1970年~71年基準から少なくとも90%以上減少させなければならない。

これに加え、基準を達成できなければ自動車の販売を認めないという条項も盛り込まれていた。当然のことながら、ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラーの“ビッグスリー”は反発し、1972年にマスキー法の実施延期を申請する。規制への対応は不可能だと主張したのだ。EPAは公聴会を開催し、延期申請を却下した。メーカー側は連邦控訴裁判所に提訴して対抗する。1973年2月、裁判所はEPAにあらためて公聴会を開催することを命令した。

全米科学アカデミーはマスキー法の期限内実施は困難であるとの報告を提出し、延期論に有力な根拠を与えた。EPAは公聴会の結果を受け、規制の延期を決定する。公害への怒りが沸騰する中で成立したマスキー法だったが、風向きは完全に変わっていった。大気汚染防止を目指した理想は、資本の論理の前に崩れ去る。シビック発売の数カ月前にマスキー法実施の1年延長が決まり、翌年には実質的な廃案となってしまった。

マスキー法の後退を決定づけたのは、1973年10月6日に始まった第4次中東戦争だった。オイルショックが先進工業国の経済を直撃し、資源・エネルギー問題が急浮上したのである。議会には緊急エネルギー法案が相次いで提案され、ガソリンの消費規制が打ち出された。

1974年1月に発表されたエネルギー教書で、ニクソン大統領はマスキー法の規制を手直しする必要性を強調した。自動車メーカーが燃費改善に注力することを求め、排出ガス規制の緩和を求めたのである。大気汚染の浄化に悪影響を与えるものではないとのただし書きが付けられたが、優先順位が落とされたのは紛れもない事実だった。

1960年代以降の原油価格の推移。第4次中東戦争に端を発するオイルショックは、自動車ユーザーに燃費に対する意識を芽生えさせたが、同時に、排出ガスに対する規制の動きを鈍化させることにもつながった。
1960年代以降の原油価格の推移。第4次中東戦争に端を発するオイルショックは、自動車ユーザーに燃費に対する意識を芽生えさせたが、同時に、排出ガスに対する規制の動きを鈍化させることにもつながった。拡大
オイルショックは、長らく経済成長を続けていた日本にも甚大な影響をもたらした。経済構造は根本的な変革を迫られ、飛び交う流言にパニックになった人々はトイレットペーパーの買い占めに走り、便乗値上げによってインフレに拍車がかかった。
オイルショックは、長らく経済成長を続けていた日本にも甚大な影響をもたらした。経済構造は根本的な変革を迫られ、飛び交う流言にパニックになった人々はトイレットペーパーの買い占めに走り、便乗値上げによってインフレに拍車がかかった。拡大
オイルショックはビッグスリーが強く反対していたマスキー法を“骨抜き”にしてしまったが、燃費のいい日本車の躍進にもつながった。写真は1974年から1978年までアメリカで販売された「トヨタ・コロナ」。
オイルショックはビッグスリーが強く反対していたマスキー法を“骨抜き”にしてしまったが、燃費のいい日本車の躍進にもつながった。写真は1974年から1978年までアメリカで販売された「トヨタ・コロナ」。拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事