世界一厳しい規制が定められた日本

日本では、1968年に大気汚染防止法が制定された。ばい煙や粉じんなどとともに、自動車の排出ガスに対する規制を定めた法律である。法的な根拠を得て、運輸省は保安基準でCO濃度の上限を決めて順守を義務付けた。アメリカと同様に大気汚染などの公害が社会問題になっており、1970年の臨時国会は“公害国会”と呼ばれるほど盛んな議論が行われた。翌1971年1月には環境庁が発足し、公害への対策に取り組むことになる。

1972年には環境庁が設立した中央公害対策審議会が答申を発表し、日本でもマスキー法に準じた排出ガス規制を行うように勧告した。1973年に排出ガス試験項目がHCとNOxに拡大され、対策が求められるようになった。“日本版マスキー法”と呼ばれた公害対策は、「昭和53年排出ガス規制」が集大成となる。その内容はNOxを0.25gに抑えるなど、当初のマスキー法の目標値を完全に達成するものだった。車検制度によって定期的に試験が行われることもあり、世界一厳しい規制と呼ばれた。

画期的な公害対策だったが、内外からの逆風にさらされた。アメリカのマスキー法は実質的に骨抜きとなっており、ヨーロッパも厳しい規制には消極的だった。欧米からは、日本の規制強化を非関税障壁と見なす声が上がったのである。アメリカ政府や欧州共同体からは、科学的根拠がないとして規制に反対する要望が届けられた。実施すれば、報復措置として日本車の輸入規制が発動されるおそれすらあった。

国内では、日本興業銀行が規制の経済的影響を分析するリポートを発表。規制が実施されれば自動車価格は上昇し、燃料消費の増大、性能の低下が避けられないと指摘した。それによって国内の乗用車需要は低下して1976年には前年比60万台の減産を招き、雇用が失われると警告したのだ。大気汚染防止による環境改善の動きは、経済的損失を叫ぶ声に押し流されそうになる。それでも日本では公害防止を要求する声が大きく、規制は予定通りに実施された。

排出ガス規制とオイルショックは、スポーツカーのあり方にも大きな影響を及ぼした。写真は当時の排出ガス規制に適応できず、わずかな台数が販売されただけに終わったKPGC110型「日産スカイライン2000GT-R」。こうしたハイパフォーマンスカーが復活を果たすのは、電子制御燃料噴射装置などが普及してからだった。
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