ルノー販売店に転職&社長令嬢と結婚

ルイージ・カザーリ氏は、1955年シエナ近郊に生まれた。

クルマとのなれ初めは?
「父は戦前生まれで、家にクルマはありませんでした。しかし、私が14歳だった1969年、町がリネア・モービリというラリーのコースになったのです」。ルイージ少年は、自転車を必死に漕(こ)いでラリーの観戦ポイントを巡ったという。

その日以来、クルマの虜(とりこ)になったルイージ氏は、やがて地元自動車メカニックのもとで工具を借り、カートを造って楽しんだ。19歳で広告のグラフィックデザイナーの職についたが、時間があればルノー販売店に入り浸るようになっていった。なぜなら、店は地元ラリードライバーに車両を貸与したり、整備をしたりといったかたちでサポートを提供していたからだった。

そのルイージ氏が1枚の写真を見せてくれた。場所はシエナ旧市街のカンポ広場で、アルピーヌがアルファ・ロメオ2台と並んでいる。「1973年モンテカルロ・ラリーに出場する選手を、店がサポートしたときの記念写真です」と彼は説明する。

「当時のモンテカルロは各国の参加者たちが自国からスタートしていました。イタリアの出発点はローマ。モンテカルロまでの区間もきちんとポイントに入っていました」。

地元シエナ出身で、のちにF1ドライバーとなるアレッサンドロ・ナニーニは、ルイージ氏の4歳年下である。彼の駆け出し時代についても、ルイージ氏はよく記憶している。

「ナニーニは普段シトロエンの『ディアーヌ』に乗っていました。実をいうと彼は、運転免許取得前からアペニン山脈のラリーに出場して腕を磨いていました」。のどかな時代である。

ルイージ氏はサポート隊にくっついて、先のモンテカルロをはじめ、サンレモ、サンマリノ、エルバ島……といった数々のラリーに遠征した。さらに1977年からは、自らルノー5アルピーヌを駆って地方級ラリーを荒らし回るようになった。

そうした生活を送るうち、グラフィックデザイナーの職を捨て、そのルノー販売店に転職してしまう。好きが高じてとは、このことである。そして1982年、27歳のときにさらなる転機が訪れる。販売店の社長令嬢だったドナータさんと結婚することになったのである。「店に出入りし始めた頃から顔見知りではあったのですが……」とルイージ氏は振り返る。

ただし、意外な試練が待ち受けていた。

好きが高じて転職した当時のルノー販売店。
好きが高じて転職した当時のルノー販売店。拡大
隅には1972年「ルノー8ゴルディーニ」も。
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初代「A110」のパーツカタログも大切に保管している。
初代「A110」のパーツカタログも大切に保管している。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。

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