“夢のスポーツカー”を作りたい

それでも、華々しい功績を背景に彼は出世街道を歩んだ。1965年にポンティアックの責任者となり、1969年にはシボレー部門を任される。沈滞していたシボレーを復活させ、1972年、デロリアンは乗用車トラック部門を統括する副社長に任命された。

若くして大企業の中枢に迎えられることになり、マスコミは驚異的なドリームストーリーを書き立てた。しかし、彼は次第に仕事への意欲を失っていく。現場からははるかに遠い場所で、社内の政治に巻き込まれて空回りする日々が続くのだ。1973年、デロリアンは44歳でGMを退社した。

「私は、ゼネラル・モーターズで技術者として仕事をはじめた。しかし、昇進するにつれて自分の好きな工学からは遠ざかるばかりである。(中略)個人がのびのびとした創造的な仕事にかかわることができるのは、小規模の特殊な会社だけだった」

『デロリアン自伝』で、彼はGMを辞した理由を説明している。1975年、“夢のスポーツカー”を作るために、彼はデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立した。

ボディーはステンレス製で、ガルウイングドアを持つ。デザインを請け負ったのは、ジョルジェット・ジウジアーロだ。プジョー、ルノー、ボルボが共同で開発したV6の2.8リッターエンジンをリアに搭載した。メカニカルな設計は、ロータスのコーリン・チャップマンが手がけている。

北アイルランドのベルファストに工場を作り、生産設備を整えた。自動車業界のスターが仕立てた斬新なモデルは、人々の興味をかき立てる。1981年に生産が開始された時には多くのバックオーダーを抱えていた。この年のクリスマスパーティーで、彼は成功を祝う人々に囲まれて最高の幸福を味わった。

「デロリアンDMC-12」とジョン・ザカリー・デロリアン。
「デロリアンDMC-12」とジョン・ザカリー・デロリアン。拡大
東京・江東区に位置するトヨタ自動車の展示施設「メガウェブ ヒストリーガレージ」に収蔵される「デロリアンDMC-12」。
東京・江東区に位置するトヨタ自動車の展示施設「メガウェブ ヒストリーガレージ」に収蔵される「デロリアンDMC-12」。拡大
「デロリアンDMC-12」のインストゥルメントパネルまわり。
「デロリアンDMC-12」のインストゥルメントパネルまわり。拡大
パワーユニットには「PRVエンジン」と呼ばれる、プジョー、ルノー、ボルボが共同開発した2.8リッターV6エンジンが採用された。
パワーユニットには「PRVエンジン」と呼ばれる、プジョー、ルノー、ボルボが共同開発した2.8リッターV6エンジンが採用された。拡大
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