ロールス・ロイスで来店する貴婦人たち

ハウスを訪れる女性たちが乗ってくるクルマは、ロールス・ロイスやベントレーといった超高級車。美貌は衰え始めているが、優美で閑雅な風情を身にまとっている。理想的な容姿とはいえないモデルに、レイノルズは黙々と着付けを施す。美しい服を作ることだけが使命であり、貴婦人たちは彼の気持ちとは無関係に自らの虚栄心に見合うツールを手に入れる。

ミューズを失ったレイノルズは疲れ切ってしまい、リフレッシュのために海辺の別荘へと出掛けた。ひとりで「ブリストル405」に乗り、勇ましいエンジン音を発しながら早朝の道を走り抜けていく。後方からのカメラで丸いルーフと3分割のリアウィンドウがとらえられ、新たなパワーを得るために疾走する男の姿が浮かび上がる。雄々しいGTカーが、彼に生命力を与えるのだ。

朝食をとるために入ったレストランで、彼はぎこちない動きでサービスするウェイトレス(ヴィッキー・クリープス)に目を留めた。何度も転びそうになるが、そのたびに魅力的な笑顔を見せる。いたずら心なのか、レイノルズは彼女にややこしいメニューを注文した。ラプサンスーチョンの紅茶にウェルシュ・レアビット、ポーチドエッグ……。ほかにもいくつかオーダーすると、彼女は正確に記憶してレイノルズに料理を届けた。名前はアルマ。彼女が「ほかに何か?」と聞くと、彼は夕食に誘う。

夕刻、道で待つ彼女をブリストルで迎えにくる。レイノルズはクルマを降り、助手席のドアを開けた。レディーに対する紳士の作法だ。高級レストランにやってくると、彼はアルマが旺盛な食欲で食事をするのを見守るだけ。マナーを知らない彼女の食べ方はエレガンスとはほど遠いが、レイノルズはいとしげに見つめている。

アルマを仕立て部屋に迎え入れ、レイノルズは生地を合わせながら採寸する。後から入ってきたシリルは瞬時に状況を理解し、仮縫い作業を手伝った。この日から、アルマはレイノルズの新たなミューズとなる。彼女を見ているだけで、いくらでもドレスのデザインが湧いてきた。美しい服を着ることで、アルマは自信とプライドを身につけていく。レイノルズが彼女の可能性を開いたのだ。

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第171回:ブリストル405から降りる時、男はすべてを受け入れる『ファントム・スレッド』の画像拡大
「ブリストル405」 航空機会社のブリストル・エアロプレーンが母体となって第2次大戦後に生まれたのがブリストル・カーズ。最初はBMWをベースにしたモデルを製造していたが、1955年に登場した「405」はオリジナルデザインを採用していた。宣伝を行わないのであまり知られていないが、現在も会社は存続していて2016年にはニューモデル「ブレット」を発売した。
「ブリストル405」 航空機会社のブリストル・エアロプレーンが母体となって第2次大戦後に生まれたのがブリストル・カーズ。最初はBMWをベースにしたモデルを製造していたが、1955年に登場した「405」はオリジナルデザインを採用していた。宣伝を行わないのであまり知られていないが、現在も会社は存続していて2016年にはニューモデル「ブレット」を発売した。拡大
鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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