トラクター事業で成功した時代の風雲児

戦争が終わってチェントに帰ると、再び自動車修理工場を始めた。主に手がけたのは、“トッポリーノ”こと「フィアット500」である。イタリアは戦災からまだ立ち直っておらず、戦前型の自動車を直して乗る需要が大きかった。それなりに成功を収めるが、フェルッチョは新たな事業を模索していた。彼が目をつけたのは、農民たちが使うトラクターである。

イタリアでは農業の機械化が進んでおらず、人力での作業が普通だった。家畜のラバを使って畑を耕すのがせいぜいである。大企業のフィアットでさえ満足のいく製品を供給できていない状況で、参入の余地があると考えたのだ。

1947年、フェルッチョは初めての製品「カリオカ」を作った。連合軍の払い下げ物資の中にモーリス製のトラックを見つけ、4気筒のガソリンエンジンを軽油で動くように改造してトラクターに仕立てたのだ。安価で高性能な製品は評判となり、フェルッチョは1949年にランボルギーニ・トラットリーチ社を設立して本格的にトラクター製造を始めた。

1960年代には、ランボルギーニはトラクター業界のトップ企業に成長していた。エンジンも自社開発し、製品のバリエーションを増やした。新規の事業にも挑戦している。アメリカに旅行した際に近代的なライフスタイルを目の当たりにし、イタリアにも消費社会が訪れることを直感したのだ。彼は暖房機とボイラーの製造・販売を始め、見事に成功させた。暖炉でまきを燃やすのが当たり前の時代だったが、彼の目は先を見通していた。

イタリアは、好景気に浮かれていた。戦災からの復興を果たし、誰もが快適な生活を求めて消費に走った。製品は飛ぶように売れ、街には物があふれる。フェルッチョ自身の生活も、見違えるほど豊かになった。彼は、イタリアの“奇跡の経済成長”を象徴する風雲児だった。高価なスポーツカーだって手に入れることができる。成功者としての生活を楽しんだが、彼はクルマの性能に心から満足してはいなかった。

そのルックスから“トッポリーノ”の愛称で親しまれた初代「フィアット500」。イタリアにモータリゼーションをもたらした立役者であり、1936年から1955年まで生産された。
そのルックスから“トッポリーノ”の愛称で親しまれた初代「フィアット500」。イタリアにモータリゼーションをもたらした立役者であり、1936年から1955年まで生産された。拡大
ランボルギーニが製造した最初のトラクター「カリオカ」。安価で高性能だったことから人気を博した。
ランボルギーニが製造した最初のトラクター「カリオカ」。安価で高性能だったことから人気を博した。拡大
フェルッチョは1949年にトラクターメーカーのランボルギーニ・トラットリーチ社を設立し、本格的にトラクターの製造を開始。さらにはエアコンやボイラーの製造販売まで手を伸ばし、成功を収めた。
フェルッチョは1949年にトラクターメーカーのランボルギーニ・トラットリーチ社を設立し、本格的にトラクターの製造を開始。さらにはエアコンやボイラーの製造販売まで手を伸ばし、成功を収めた。拡大
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