死の匂い漂うフィアットに乗り込んで

旧フィアットグループには、創業一族のウンベルト・アニエッリ会長の推薦により2003年に取締役として加わった。しかし翌2004年のアニエッリ死去による新幹部人事にともない、社長に昇格する。

会長にルカ・ディ・モンテゼーモロ、副会長にアニエッリ一族出身で当時29歳のジョン・エルカンという陣容だった。しかし同社は最悪の時期だった。やや時間のたったデータであるが、2002年には、1日あたり500万ユーロ(現在の換算レートで6億4000万円)という勢いで負債が膨らんでいた。マルキオンネは「死の匂いがしていた」と回想している。

手始めにマルキオンネが着手したのは社内改革だった。反対勢力の幹部を一掃。「定時に退社してゴルフをしたい者は必要としない」という彼の言葉が報道された。同時に相乗効果が上がらないゼネラルモーターズ(GM)との株持ち合いによる資本提携を解消した。

そして2009年、マルキオンネは最大の賭けに出る。同年に連邦破産法11条の適用を受けたクライスラー社に、アメリカ/カナダの両政府、そして全米自動車労組とともに資本参加したのだ。

当時フィアットは再建の道半ばだったことから、その大胆な経営判断をイタリアでは「フィアットの終わりの始まり」とする読み方もあった。しかし、2014年にはクライスラーへの出資比率を100%にまで高め、同年10月新たにFCAを発足。ニューヨーク/ミラノ両証券取引所に上場した。そして登記上の本社所在地を歴史的なトリノからオランダへ、一方で節税を図るべく税務上の本社はイギリスに移転させるという、ここでも財務のプロならではの辣腕(らつわん)を発揮した。

傘下にあったフェラーリも2013年に別会社化(スピンオフ)してニューヨークで上場。続いて2014年、同社のCEO職にあったモンテゼーモロを経営方針の相違から事実上解任し、自らその職についた。

2013年、フェラーリのスペシャルモデル「ラ・フェラーリ」がデビューした際のカット。ルカ・ディ・モンテゼーモロやジョン・エルカンらとともに。
2013年、フェラーリのスペシャルモデル「ラ・フェラーリ」がデビューした際のカット。ルカ・ディ・モンテゼーモロやジョン・エルカンらとともに。拡大
2013年には、アルファ・ロメオの米国市場復帰を暗示した。
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