航空機製造の技術を生かした「サーブ92」

一方、サーブが誕生したのは第2次大戦後である。母体となったのは軍用機を製造していたスウェーデン航空機株式会社で、Svenska Aeroplan ABと表記する。これが社名の由来となった。戦争の終結が近づき軍用機需要の激減が現実味を帯びると、民需への転換が喫緊の課題となる。サーブは民間機の製造を目指し、軽飛行機の「91サファイア」と小型旅客機の「90スカンディア」を開発した。

この2機だけで会社を維持していくことは困難で、新分野への進出が不可欠だ。検討の結果選ばれたのが乗用車製造だった。戦争が終われば小型車の需要が高まると予想されており、すでにボルボは大戦終結前に新型車の「PV444」を発表している。4人乗り、40馬力、4気筒を意味するこのモデルは、大きな反響を呼んでいた。

サーブのエンジニアは、航空機製造の経験を生かして未体験の自動車開発に取り組んだ。風洞実験をボディー設計に取り入れるという手法を使ったことが、空力性能の高い流線形のデザインにつながっている。1946年に作られた試作車の「92001」は、空気抵抗係数を表すCd値が0.32に抑えられていた。0.5程度が常識だった当時としては異例の数字である。モノコックボディーを採用したのも、軽量化を重視する航空機メーカーらしい選択だった。エンジンはドイツのDKWにならって2気筒2ストロークとし、前輪駆動を採用している。

1947年、サーブは初の乗用車として「92」を発表する。航空機の「90」と「91」に続くモデルとしての命名だ。この年にはボルボもPV444の本格的な量産を開始しており、スウェーデンの自動車工業は力強く歩み始めた。

サーブ92は改良を重ねて発展していく。エンジンは3気筒になり、さらには4ストロークのV型4気筒に換えられる。最終的な発展形の「96」は、1980年まで製造された。一方、ボルボはPV444の販売が好調で、1958年の生産終了までに累計約20万台を世に送り出した。世界にボルボの名を知らしめたのは、1956年に発表された「アマゾン」である。この名称はドイツのクライドラーが保有していたため、国外では「120」などの数字がモデル名となっていたが、アマゾンという愛称のほうがよく知られていた。

アマゾンは、北米への輸出に重点が置かれたモデルだった。すでにPV444はアメリカで販売実績があり、アマゾンもスタイリッシュでパワーのある中型車として高い評価を受ける。サーブも国外への進出に積極的で、1951年にアメリカへの輸出を開始していた。スウェーデンの市場だけでは販売数に限界があり、両社がターゲットとしてアメリカを重視したのは当然だったといえる。

小型練習機の「サーブ91サファイア」。自動車メーカーとしてのサーブの歴史は、1947年に発足した航空・軍需メーカーの自動車部門に端を発する。
小型練習機の「サーブ91サファイア」。自動車メーカーとしてのサーブの歴史は、1947年に発足した航空・軍需メーカーの自動車部門に端を発する。拡大
1946年春に製作された試作車「92001」。航空機製造の経験を生かした、空力性能の高い流線形のボディーが特徴だった。
1946年春に製作された試作車「92001」。航空機製造の経験を生かした、空力性能の高い流線形のボディーが特徴だった。拡大
「92001」「92002」という2台の試作車を経て、1949年8月に登場した「サーブ92」。エンジンとトランスミッションをフロントに横置き搭載した、FF車だった。
「92001」「92002」という2台の試作車を経て、1949年8月に登場した「サーブ92」。エンジンとトランスミッションをフロントに横置き搭載した、FF車だった。拡大
1946年から1958年まで生産された「ボルボPV444」。1953年には3ドアワゴンの「PV445デュエット」も発売された。
1946年から1958年まで生産された「ボルボPV444」。1953年には3ドアワゴンの「PV445デュエット」も発売された。拡大
ボルボの名声を大いに高めた「アマゾン」。商標の関係から、スウェーデン以外では「120」や「122S」などと呼ばれた。写真は1966年に登場した高性能モデル「123GT」。
ボルボの名声を大いに高めた「アマゾン」。商標の関係から、スウェーデン以外では「120」や「122S」などと呼ばれた。写真は1966年に登場した高性能モデル「123GT」。拡大
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