語り継がれる“切りっぷり”

そんなゴーン会長はこれまで、何をしてきたのだろうか?

日産とゴーン会長の出会いは20世紀の終わり。日産は日本国内に支援先を見つけられず、完全に行き詰まっていた。最悪の事態も考えられたところに、同じく苦境からの復活を遂げた仏ルノーが手を差し伸べて、資本提携が実現する。ルノーの立て直しに貢献したのが若きゴーン氏だった。当時から「コストカッター」「コストキラー」などと呼ばれていたという。

1999年にゴーン氏は日産の最高執行責任者となり、翌2000年に塙 義一氏の後を継いで社長となる。これがそもそもクーデターではないかという過激な意見も目にするが、真偽不明のうわさ話も多く、本稿ではこれ以上触れない。

しかし、日産に乗り込んだゴーン氏が日本人従業員に向かって、独特のイントネーションの日本語で語りかける姿は鮮烈で、日産の再出発を印象付けるものだった。ゴーン氏の愛されキャラは、こういった寄り添う姿勢から生まれたのかもしれない。愛嬌(あいきょう)がなくても、お愛想を言えなくても、愛されキャラは成立するのだ。

その後、ゴーン氏はコストカッターの面目躍如とばかりに、大胆な施策に打って出た。日産リバイバルプランは企業再生のお手本のように今なお語られているが、その陰には多くの涙も流れている。村山工場をはじめとする国内拠点の閉鎖や縮小、子会社の清算など、従業員の人生設計を激変させた施策は少なくない。今回の逮捕劇で、テレビ各局は当時を知る関係者にインタビューし、「ゴーン氏が得ていたとされる50億円があれば、あんなに多くの人の首を切らずに済んだのではないか」とのコメントを引き出している。これらゴーン流のダークサイドは今後も語られ続けるだろう。

一方で、ゴーン氏によって息を吹き返したものや、命を吹き込まれたものもあった。スペシャルティーカー「フェアレディZ」の復活や高性能モデル「GT-R」の開発、電気自動車(EV)への集中投資と「リーフ」の誕生、三菱自動車の救済など、ゴーン政権下で成し遂げた功績には自動車史に残ると思われるものも多い。なにより日産はV字回復を成し遂げ、ルノーを上回る利益を出し、(アライアンスとして)世界販売台数2位の座に上り詰めたのだ。ゴーン氏なくして、いまの日産はないといっていいだろう。

ゴーン氏が指揮した「日産V字回復」のシンボルとして誕生した、Z33型「フェアレディZ」。日本では2002年7月にデビューした。


	ゴーン氏が指揮した「日産V字回復」のシンボルとして誕生した、Z33型「フェアレディZ」。日本では2002年7月にデビューした。
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2007年10月の登場以来、11年にわたってリファインされ、その高性能ぶりを世界に知らしめてきた「GT-R」。東京モーターショー2007ではゴーン氏が自ら同車を紹介し、会場の話題を独占した。
2007年10月の登場以来、11年にわたってリファインされ、その高性能ぶりを世界に知らしめてきた「GT-R」。東京モーターショー2007ではゴーン氏が自ら同車を紹介し、会場の話題を独占した。拡大
2016年5月、日産自動車は三菱自動車と戦略的アライアンスに関する覚書を締結。これにより、ルノーと日産、三菱による年間販売台数1000万台規模のアライアンスが誕生した。
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