新レギュレーションでレース戦略が変化

第1次世界大戦が始まり、1915年から1920年まではグランプリは行われていない。1921年に再開された時のレギュレーションは、車重800kg、排気量3000cc以下というもの。翌年はさらに厳しくなり、650kg、2000ccという規定となる。10リッター以上の巨大なエンジンを搭載していた頃とは様変わりした。第1次世界大戦では航空機が兵器として重要な役割を果たすようになり、空気の薄い高空でも出力が落ちないようにするための過給技術が発展した。自動車にも応用され、小さな排気量でもハイパワーを出せるようになったのである。

ひたすら出力だけを追い求めてエンジンを巨大化する時代は終わり、グランプリで勝つためには総合力を高めることが必要となった。軽量化やサスペンションの強化で操縦性を向上させることが重要になったのである。レース戦略が高度化し、タイヤや燃料を消耗させないことが勝利の鍵となっていった。

ベンツは1923年に風変わりな形のマシンをレースに投入する。水滴形ボディーの「トロップフェンヴァーゲン」だ。2リッター直6 DOHCエンジンを搭載したミドシップのマシンで、サスペンションは四輪独立懸架である。革新的なマシンだったが、過給装置を持たないエンジンの出力は90馬力にすぎず、レースでは活躍できなかった。

その頃、ダイムラー社の技術部長に就任したのが、フェルディナント・ポルシェ博士である。彼は手始めに前任者のパウロ・ダイムラーが残した2リッター直4エンジンの改良に取り組む。スーパーチャージャーによる過給は、当時最先端の技術的課題だった。ポルシェ博士は2リッター直8 DOHCエンジンも開発している。1気筒あたり4バルブの先進的な設計が特徴で、6000回転で160馬力という高回転型だった。

1926年にはグランプリのレギュレーションはさらに厳しさを増し、車重600kg、排気量1500cと定められた。マシンの速度を抑えて安全性を確保するための改定だったが、自動車メーカーの反発は大きく、ACFとは無関係なフォーミュラ・リブレのレースが行われるようになる。

1923年にベンツが投入した「トロップフェンヴァーゲン」。空力を考慮したボディー形状やスイングアクスル式のサスペンションが採用されるなど、意欲的なレーシングカーとなっていた。
1923年にベンツが投入した「トロップフェンヴァーゲン」。空力を考慮したボディー形状やスイングアクスル式のサスペンションが採用されるなど、意欲的なレーシングカーとなっていた。拡大
1923年に開かれたベルリンでの自動車ショーにて、ベンツのブースに展示された「トロップフェンヴァーゲン」。
1923年に開かれたベルリンでの自動車ショーにて、ベンツのブースに展示された「トロップフェンヴァーゲン」。拡大
1923年9月9日にモンツァで開催されたヨーロッパグランプリの様子。このレースでベンツの「トロップフェンヴァーゲン」は4位と5位に入った。
1923年9月9日にモンツァで開催されたヨーロッパグランプリの様子。このレースでベンツの「トロップフェンヴァーゲン」は4位と5位に入った。拡大
「フォルクスワーゲン」の生みの親であるフェルディナンド・ポルシェ。1906年から1928年までダイムラーおよびダイムラー・ベンツに在籍し、レーシングカーやスポーツカー、航空機用エンジンなどの開発を主導した。
「フォルクスワーゲン」の生みの親であるフェルディナンド・ポルシェ。1906年から1928年までダイムラーおよびダイムラー・ベンツに在籍し、レーシングカーやスポーツカー、航空機用エンジンなどの開発を主導した。拡大
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