絶滅の背景には“イタリア人のパンダ観”

会場で会ったトゥミネッリ教授によれば、初代パンダの初期型(141)は、もはや極めて少ないという。

ここからは、なぜ初代パンダ、特に初期型が少ないのかを考えてみたい。実際に本場イタリアで、初期型を目にする機会は今日極めて少ない。残存しているのは大半が、同じ初代でも1986年以降の後期型(141A)である。筆者も初期型を最後に路上で見たのは、いつなのか思い出せない。

背景にあるひとつ目の原因は製造年数だ。モデルイヤーを基準にすれば後期型が17年も生き延びたのに対し、初期型はわずか6年なのであるから、少ないのは明らかである。

さらに、実際に所有したというイタリア人が口々に言うには、初期型の売りであったハンモック状シートは耐久性に乏しかった。「クッション代わりに、自分で新聞を詰めてしのいでいた」というのは、複数の元ユーザーから聞いた証言である。

そのうえ、ガラス周辺からの腐食がひどかった。特にフロントウィンドウ下両脇の通気口付近は水がたまりやすかったようである。前回の本文にも登場するが、街角で出会った初期型は、かなりの確率で粘着テープによって当該部分の補修が施されていた。

一般的なイタリア人によるパンダ観もある。60歳前後の人々にとって、パンダは酒飲み話の話題にできるほど共通の体験といえる。だが、それはあくまでもフィアットの「126」や「127」に代わる実用車であったのだ。

だから捨てることにもまったく躊躇(ちゅうちょ)がなかった。長い歴史をもつ彼らにとって20世紀は、つい最近のことであり、それも第2次大戦後の工業製品を興味の対象とする人は限られている。一般ユーザーにとってクルマで保存の対象となるのは、辛うじて先代「フィアット500」なのである。

そもそもイタリアでは美術や音楽でさえも、20世紀の作品に対する関心は米国などに比べると限られたものだ。まあ、日本でも明治維新後の廃仏毀釈(きしゃく)で、仏教美術が米国などに流出してしまったことを考えれば、一方的にイタリア人を非難することはできないが。

グランドバーゼルに展示された初代「フィアット・パンダ」の初期型。
グランドバーゼルに展示された初代「フィアット・パンダ」の初期型。拡大
1979年に製造された、希少な個体である。
1979年に製造された、希少な個体である。拡大
「フィアット・パンダ」の初期型。これは30ps仕様。45ps仕様と異なるラジエーター位置への対応とコストダウンを両立するため、1枚のグリルを反転して装着するアイデアが採用された。
「フィアット・パンダ」の初期型。これは30ps仕様。45ps仕様と異なるラジエーター位置への対応とコストダウンを両立するため、1枚のグリルを反転して装着するアイデアが採用された。拡大
初期型のシート。
初期型のシート。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など数々の著書・訳書あり。

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