MoMAに永久所蔵せよ

話は変わるが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にピニンファリーナによる1946年「チシタリア202GT」が「走る彫刻」として永久所蔵され、今日に至っているのはデザインに関心をもつ人の間で広く知られるところだ。

同館では初となる、自動車の永久所蔵品である。ボク自身も学生時代、わざわざそれを見たいがためにMoMAまで行ったものだ。ただし、このセレクトに若干の疑問を抱いてきたのも事実である。

記録によればチシタリアは、同館における1951年の特別展に8台展示された自動車の中から選ばれた。MoMAが同車を選択したのは、フラッシュサイド(内包したフェンダー)形状を、他のボディーパーツと高度に融合した最初の例であり、後年のクルマに影響を与えたというのが理由だ。

しかし同様の試みはピニンファリーナと前後して、同じトリノのカロッツェリアであるトゥリングや、ミケロッティのデザインによるスタビリメンティファリーナの仕事にも見て取れる。

当時MoMAのキュレーター、エミリオ・アンバスは自動車デザイン界全体に対する視野が限定されていたのではないか。加えて、第2次大戦後は米国人のデザインだけでなくイタリアンカルチャー全体への関心が高まった時期である。

そうした意味で、ある種直感的に、イタリアンデザインへの崇拝から展示車の中で唯一のイタリア車であったチシタリア202を選んだのではないだろうか。

やや長くなってしまったが、そのMoMAは、2017年に先代フィアット500も購入している。同車は2019年2月から5月にかけて行われる特別展「グッドデザインの価値」で展示される予定だ。

デザインの使命を人々の生活を向上させることと定義するなら、新車当時極めて限られた階級のためにつくられ、かつ商業的にも成功しなかったチシタリア――チシタリアは1960年代中盤にイタリアでの事業を終えている――よりも、フィアット500を展示する意義は大きい。

そこから発展して考えるなら、ボク自身は、いつか初代パンダの初期型も、永久所蔵品に加える価値があると信じている。

思い起こせば筆者がイタリアに住み始めた22年前、まだ街では初期型をたびたび見かけ、親切なイタリアの知人から、「お前の予算にぴったりだぜ」と、どこから探してきたのか、パンダの初期型を薦められたこともあった。

当時は今以上にビンボーだったので買うのを断念した。だが、あのとき無理をして買って乗っておけば、イタリア人の元パンダオーナーたちと熱く語り合えたのに、と今となっては悔やまれる。

同時に、今回紹介した2例のように再評価の機運が高まり、「やがてイタリアの農村で“パンダ乱獲”が始まるのでは」とやや心配な今日このごろである。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ガレージ・イタリア、イタルデザイン-ジウジアーロ、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

こんなバリエーションも。イタルデザインが「パンダ4×4」をベースに製作し、1980年のトリノショーで提案した「ストリップ」。現在も同社の社内ショールーム(非公開)に保存されている。
こんなバリエーションも。イタルデザインが「パンダ4×4」をベースに製作し、1980年のトリノショーで提案した「ストリップ」。現在も同社の社内ショールーム(非公開)に保存されている。拡大
「パンダ」のガスコンロ。左奥は「フィアット・チンクエチェント」の食洗機。いずれもトリノ自動車博物館におけるユーモラスなオブジェである。
「パンダ」のガスコンロ。左奥は「フィアット・チンクエチェント」の食洗機。いずれもトリノ自動車博物館におけるユーモラスなオブジェである。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など数々の著書・訳書あり。

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