レクサスES300h“Fスポーツ”(FF/CVT)
リベンジは成功したか 2019.01.17 試乗記 レクサスのフラッグシップモデルである「LS」と見間違えるほどのデザインとサイズ感を持ち日本初登場となった「ES」。同じパワートレインを採用する兄弟車である「カムリ」とはどこが違うのか? 北米テイストに満ちた両車を比べて、感じることがあった。かつては「ウィンダム」
レクサスESといえば、思い出すテレビCMがある。正しくは初代「ウィンダム」のCMなのだが、その短い映像には、アメリカの脳外科医や国際企業コンサルタント、建築デザイナー、環境学者、国際線の機長──といったプレステージ性が高いと思われる職業のイケメン米国人が多数登場するのである。人物の紹介に加え、ナレーションは「レクサスES300=日本名ウィンダム。これがワールドプレステージクラス」と続ける。
1991年、ウィンダムの日本発売にあたって「このクルマはアメリカでは高級ブランドであるレクサスとして売られていますよ」と、いかにも舶来モノに弱い日本人のハートを揺さぶるのが、そのCMの狙いだったのだろう。当時はまだまだ「〇〇では」という外国の地名を出す「ではの神」信仰がアツかったのだ。
「アメリカではレクサスが高級車である」という刷り込みが、多くの日本人に刺さった……かどうかは不明なれど、1989年に北米でレクサスブランドがスタートして以来、現在ではSUVが主軸といえるものの、人気モデルとしてESは北米市場の屋台骨を支えてきた。
ちなみにどうでもいい話だが、ウィンダムといえば3代目のテレビCMで、映画『ブレードランナー』のエンディング曲を使用するというおきて破りに出た。何がおきて破りかというと、その『ブレードランナー』の曲は、1985年にマツダが2代目「RX-7」のCMで先に使用していたからだ。当時「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という与謝野晶子の短歌のナレーションとともに流れたこの曲のインパクトは大で、しかも当時としてはかなりクールな映像でもあったと感じた。スポーツカーの躍動感あるそれとは真逆なウィンダムのテレビCMを見て、どこか裏切られた気持ちになった……記憶も遠い昔だ。
つまり何が言いたいのかというと、日本市場で新参者扱いのレクサスESシリーズも、北米市場で実はレクサスブランド誕生時の1989年から、30年近い歴史を持つ同ブランドの中心的なモデルである、ということだ。1989年(すなわち平成元年)は、「スカイラインGT-R(R32)」「フェアレディZ(Z32)」「セルシオ(=レクサスLS)」「インフィニティQ45」「ユーノス・ロードスター」「NSX(発表のみ)」などなど日本車大豊作の年で、レクサス誕生もそんな新時代の象徴のひとつだったと言えるのかもしれない。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |