「サモトラケのニケ」より美しい

しかし未来派には、さらなる顔がある。以下はイベントとは別の、筆者によるおさらいと論考である。

既存の芸術を打破しようとする未来派のアグレッシブ性は宣言当初から戦争を賛美し、ベニート・ムッソリーニが1922年にローマ進軍を果たすとファシズム礼賛へと結びついた。

同時に未来派は、近代科学によって誕生した機械への礼賛を惜しまなかった。

作品のモチーフには機関車をはじめ、さまざまな機械が多く取り上げられた。さらに、彼らの中では体も機械の一部であるという概念さえ芽生えた。

その機械礼賛は、やがて飛行機やそのキャノピーから見た視覚を題材とした航空絵画(アエロピットゥーラ)にも発展してゆく。

その傍らで、小さなコンポーネンツにまで目を向けているのも筆者としては面白い。例えば、彼らの会報は『ディナモ・フトゥリスタ(未来派のダイナモ)』と名付けられ、実際表紙にはモーターが描かれていた。

自動車についても、ふんだんに賛美されている。前述の「未来派宣言」の第4節には「機銃掃射の上を走るがごとく咆哮(ほうこう)をあげるクルマは『サモトラケのニケ』より美しいのだ」とある。サモトラケのニケとは、ギリシアで発掘された勝利の女神像である。

続く第5節には、「われわれはステアリングを握る男をたたえたい」と、しっかりとうたわれているのである。

そうした彼らに、フィアットはインスピレーションを与え続けていたに違いないと筆者は考える。事実、未来派を宣言したマリネッティは1924年にフィアットのリンゴット工場を訪問、のちに施設を「第一の未来派的発明」と評価している。

1899年に創業したフィアットは、創業5年目の1903年には船舶エンジンを製作、18年目の1916年には、既存企業SIAのライセンスを取得するかたちで航空機事業に進出、翌1917年には鉄道車両の開発にも着手している。

第2次大戦中には「Terra Mare Cielo(陸・海・空)」という有名なキャッチが用いられた。

フィアットはまさに拡張期にあった。また、その本拠地であるトリノは未来派の主たる活動拠点でもあった。したがって、フィアットのさまざまなプロダクトが、アーティストの創作意欲を直接的・間接的に刺激したということが容易に想像できるのだ。

参考までに、当時とは直接関係ないが、フィアット創業家出身の故ジョヴァンニ・アニェッリ元名誉会長(1921-2003)およびその妻マレッラのコレクションを収蔵したトリノ・リンゴットの絵画館には、ジャコモ・バッラの代表作『抽象的な速度』(1913年)が収蔵されている。

1924年にエルネスト・エルドリッジが操り、フランスの公道で234.98km/hを記録した「フィアット・メフィストフェーレ」。以下3点はトリノのフィアット資料館にて。
1924年にエルネスト・エルドリッジが操り、フランスの公道で234.98km/hを記録した「フィアット・メフィストフェーレ」。以下3点はトリノのフィアット資料館にて。拡大
1932年「フィアットG2単葉機」の1/10スケールモデル(手前)。フィアット製航空機初のカンチレバーウイング(ステーのない主翼)を採用していた。
1932年「フィアットG2単葉機」の1/10スケールモデル(手前)。フィアット製航空機初のカンチレバーウイング(ステーのない主翼)を採用していた。拡大
往年のフィアット経営陣の会議室。壁面には「陸・海・空」のポスターが掛かる。今日でも会議に用いられることがある。
往年のフィアット経営陣の会議室。壁面には「陸・海・空」のポスターが掛かる。今日でも会議に用いられることがある。拡大
FCAのミラフィオーリ工場社屋。1939年にムッソリーニ首相臨席のもとで落成式が行われた。
FCAのミラフィオーリ工場社屋。1939年にムッソリーニ首相臨席のもとで落成式が行われた。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。21年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

あなたにおすすめの記事
新着記事