“プロフェッサー”の師匠として

僅差で惜しくも敗れたプロストは、翌年に悲願の初タイトルを決め、1993年に引退するまでに4冠を達成することになる。計算し尽くされたクレバーで緻密なレース運び、ミスのない堅実な走り、予選で1番ではなくても決勝で真っ先にチェッカードフラッグを受ければいいとする戦略──そんなプロストのしたたかな戦い方に、ひとは彼を“プロフェッサー(教授)”と呼ぶようになったが、そもそも名手プロストの強さの根源には、激闘を通じてラウダから教わった思想が息づいていた。コンピューターのような明晰(めいせき)な頭脳の持ち主であったラウダは、“プロフェッサーの師匠”だったのだ。

さしものラウダも、次の年にはプロストを止めることができなかった。1985年シーズンを最後に2度目の引退を表明。F1出場171戦で残した戦績は、ワールドチャンピオン3回、レースに勝つこと25回、ポールポジション24回、表彰台は54回を数えた。記録も立派だが、ラウダをレジェンドたらしめるのは、たとえ死のふちに追いやられても、若手の攻勢にあおうとも、怯(ひる)まずにわが道を進み頂点に立とうとする、不撓(ふとう)不屈の精神だった。

ダイムラーのDr.ディーター・ツェッチェ会長(中央)とニキ・ラウダ(右)。2017年11月に行われたアブダビGPのピットでのワンシーン。(Photo=Mercedes)
ダイムラーのDr.ディーター・ツェッチェ会長(中央)とニキ・ラウダ(右)。2017年11月に行われたアブダビGPのピットでのワンシーン。(Photo=Mercedes)拡大
1979年、ラウダはF1GPの前座として行われた「BMW M1」のワンメイクレース「プロカー選手権」に参戦。同年5月のモナコGP、7月のイギリスGP、ドイツGPで勝利。見事、同シーズンのチャンピオンに輝いた。(Photo=BMW)
1979年、ラウダはF1GPの前座として行われた「BMW M1」のワンメイクレース「プロカー選手権」に参戦。同年5月のモナコGP、7月のイギリスGP、ドイツGPで勝利。見事、同シーズンのチャンピオンに輝いた。(Photo=BMW)拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事