危機を乗り越えて自動車生産を再開

1945年の敗戦で、ドイツは連合国の管理下に入った。軍需産業が禁止されたのは当然で、BMWも解体される。東ドイツ側にあったアイゼナハの工場はソ連の統治下に入り、残った施設を使って「321」「327」などの戦前型モデルの生産が再開された。当初はBMWと同じ青と白のエンブレムを使用していたが、後に抗議を受けて赤と白に変更する。新しい社名はアイゼナハ・モトーレン・ヴェルク(EMW)である。

一方、ミュンヘンの工場はアメリカ軍に接収され、軍用車の修理を行うようになる。戻ってきた社員たちは破壊された工場から材料をかき集めて作った鍋や釜を販売し、再起の道を探っていた。まず手をつけたのは、オートバイの開発である。新たに247ccの単気筒エンジンを設計し、1948年から「R24」の生産を始めた。定評のあるBMWのオートバイは市場から歓迎され、会社再建に向けて条件が整っていく。

自動車製造については、まずはライセンス生産から再開しようと交渉が重ねられたが、どのメーカーとも折り合いがつかなかった。自社開発のモデルとして企画されたのが「331」である。オートバイ用の600ccエンジンを搭載した乗員2名の小型車で、「フィアット500」の影響を受けている。ミニマムな仕立ての経済的な実用車は、戦後復興期のドイツで需要があるとエンジニアは考えていた。しかし、販売部門からは激しく反対される。戦前の体験から、大型高級車路線を歩むのがBMWの本来の姿であると彼らは主張したのだ。

第2次世界大戦のぼっ発により、BMWは再び軍需生産に専念することとなった。写真は1942年当時の工場の様子。
第2次世界大戦のぼっ発により、BMWは再び軍需生産に専念することとなった。写真は1942年当時の工場の様子。拡大
1945年のミルバーツホーフェン工場の様子。戦災により、BMWは甚大な被害を受けたうえ、東西ドイツの分断により、2つの会社に分けられることとなった。
1945年のミルバーツホーフェン工場の様子。戦災により、BMWは甚大な被害を受けたうえ、東西ドイツの分断により、2つの会社に分けられることとなった。拡大
工場で生産される「R24」(1948年)。戦前型の「R23」をベースに改良を施したもので、1949年だけで9144台が売れたという。戦後のBMWを支えたのは、定評のある二輪モデルだった。
工場で生産される「R24」(1948年)。戦前型の「R23」をベースに改良を施したもので、1949年だけで9144台が売れたという。戦後のBMWを支えたのは、定評のある二輪モデルだった。拡大
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