本来の精神に立ち戻ったノイエ・クラッセ

プロトタイプまでつくられた計画はご破算となり、大型車のプロジェクトが始まった。326をベースとして、ボディーにモダンな曲面を取り入れてつくられたのが501である。全長4730mm、全幅1780mmという堂々たるボディーで、重量は1300kgを超えていた。

501は非力なエンジンが不評で、1954年には2580ccのV8エンジンを搭載した「502」を送り出す。翌年には排気量を3180ccに拡大し、商品力アップを図った。しかし、501/502は商業的な成功を勝ち得ていない。労働者の平均月給は約360マルクで、2万マルク近い価格のクルマを購入できる層は限られていたのである。「メルセデス・ベンツ300SL」に対抗したスポーツカー「507」も投入して高級車路線を推し進めるが、時代の要求とマッチしたモデルではない。507の生産台数は252台にとどまった。

財政的に追い詰められる中で、救世主となったのは不思議な形をしたミニマムなクルマだった。イタリアの「イソ・イセッタ」のライセンスを受け、「BMWイセッタ250」として販売したのである。信頼性の高いBMW製のエンジンに換装したモデルは庶民の足として人気となり、排気量を高めた「BMWイセッタ300」と合わせて16万台以上を売り上げた。イセッタの好評は他メーカーの参入を招き、ドイツでは“クラインヴァーゲン”が流行する。

ただ、販売数は多くても利益は薄く、BMWが危機を脱したとはいえなかった。1959年の株主総会では、実質的にダイムラー・ベンツ社の傘下に入って再建を図るというプランが提案される。辛くも提案は否決され、新たに経営の主導権を握ったのはヘルベルトとハラルトのクヴァント兄弟だった。30%を超える株式を取得して筆頭株主となった彼らは、新世代のミドルクラスセダンを開発するよう指示を出す。

1961年に発表された「1500」は、モダンな外観と卓越したハンドリング性能を持ち、批評家から絶賛される。新しい時代を感じさせるスポーティーなセダンは市場からも大きな支持を得た。このモデルから始まった「ノイエ・クラッセ」と呼ばれる一連のモデルには、運転の楽しさを追求する明快な主張があった。「駆けぬける歓び」というBMWの精神に立ち戻ったのである。

(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

1951年のフランクフルトモーターショーで発表された「501」。堂々としたボディーサイズの大型高級車だったが、成功には至らなかった。
1951年のフランクフルトモーターショーで発表された「501」。堂々としたボディーサイズの大型高級車だったが、成功には至らなかった。拡大
1955年のフランクフルトショーで発表された「507」。最高出力150馬力の3.2リッターV8エンジンを搭載した高性能スポーツカーだった。
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伊イソ社とのライセンス契約により生産された「BMWイセッタ」。ハインケルやメッサーシュミットの“クラインヴァーゲン”ともども、庶民の足として活躍した。
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1959年の年次株主総会では、ダイムラー・ベンツの傘下に入ることまで議論された。
1959年の年次株主総会では、ダイムラー・ベンツの傘下に入ることまで議論された。拡大
1961年にデビューした「1500」。四輪独立懸架のシャシーにクロスフローの直4 SOHCエンジンを搭載した高性能かつ上質なセダンで、今日の「3シリーズ」や「5シリーズ」へとつながる礎を築いた。
1961年にデビューした「1500」。四輪独立懸架のシャシーにクロスフローの直4 SOHCエンジンを搭載した高性能かつ上質なセダンで、今日の「3シリーズ」や「5シリーズ」へとつながる礎を築いた。拡大
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