ダンテ・ジアコーザがプロジェクトを主導

イタリアでは、フィアットの工場が大きな被害を受け、さらに戦後処理の過程で先行きが不透明となっていた。新たな時代に向けてのモデルを開発する「ティーポ100」と「ティーポ101」のプロジェクトは、そうした厳しい状況の中で開始された。主導したのは、トポリーノを開発したダンテ・ジアコーザである。

まず世に出たのは、ティーポ101が形となった「1400」だった。1950年のジュネーブショーに出展されたこのモデルは、フィアット初となるモノコックボディーを採用していた。1.4リッターの直列4気筒OHVエンジンを搭載し、フェンダーラインが消えたボディースタイルは新時代を予感させるものだった。

ティーポ100は、トポリーノの後継車を開発するプロジェクトだった。戦後になってもトポリーノはつくり続けられていたが、さすがに古さは隠せなくなっていた。ジアコーザは、新モデルの構造をトポリーノから一変させることを決断する。駆動方式をFRからRRに変えたのだ。1955年に発売された「600(セイチェント)」は、モノコックボディーの後端に633ccの水冷直列4気筒OHVエンジンを搭載していた。RR方式の採用によって室内空間を拡大し、トポリーノと全長がまったく同じであるにもかかわらず、4人乗りを実現していた。

600は大好評だったが、フィアットはさらに魅力的なモデルをつくろうと考えた。600より一回り小さなモデルである。復興が進んでいたとはいえ人々の購買力にはまだ限りがあり、より安価でミニマムなクルマが求められていたのだ。

戦後型フィアットの第1号車となった「1400」。開発を主導したのはダンテ・ジアコーザで、フィアット初のモノコックボディーが用いられていた。
戦後型フィアットの第1号車となった「1400」。開発を主導したのはダンテ・ジアコーザで、フィアット初のモノコックボディーが用いられていた。拡大
1955年に登場した「フィアット600」。RRの駆動方式を用いた小型車で、1960年にはより排気量の大きなエンジンを搭載した「600D」に進化。1969年まで生産された。
1955年に登場した「フィアット600」。RRの駆動方式を用いた小型車で、1960年にはより排気量の大きなエンジンを搭載した「600D」に進化。1969年まで生産された。拡大
長年にわたりフィアットの技術部長を務め続けたダンテ・ジアコーザ(1905-1996)。初代「500」に始まり、「1400」「600」、2代目「500」「124」「127」と、数多くの名車を世に送り出した。
長年にわたりフィアットの技術部長を務め続けたダンテ・ジアコーザ(1905-1996)。初代「500」に始まり、「1400」「600」、2代目「500」「124」「127」と、数多くの名車を世に送り出した。拡大
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