希少な成功例ゆえに

同時に、このパルコ・ヴァレンティーノを考えるとき、もうひとつの視点を忘れてはならない。

それは「トリノモーターショー」の復活版としての役割だ。出展者の減少により2000年をもって幕を閉じた同ショーだが、1960~1970年代にかけてはイタリア系ブランドやカロッツェリアが数々の新型を発表。その多くが今日まで名作として評価されている。

その復活は、当時の繁栄を知る自動車関係者にとっての悲願でもあった。記憶しているのは2010年5月にピニンファリーナが催した、自社ミュージアムの開所式でのことである。スピーチに立った来賓のひとりは、当日の趣旨から外れ、「あのトリノショーの復活を」と熱く語った。すると、たちまち大きな拍手が湧いた。

パルコ・ヴァレンティーノには、かつてのトリノショーとの直接的関連はない。しかし、協賛に地元ピエモンテ州や自動車産業関連団体が名を連ねているのは、彼らの期待ととることができよう。

2020年の開催地となったロンバルディア州の関係者は、イタリアのメディアに対して、まだパルコ・ヴァレンティーノ側から何も相談を受けていないと話している。

5年の実績で定着した「パルコ・ヴァレンティーノ」の名称を、どうするのかも気になる。フィレンツェの有名なモード見本市は、まったく違う見本市会場で開催されて久しいが、いまだ草創期にピッティ宮で開催していたのにちなんで「ピッティ」を名乗っている。そこからすれば、新しい開催地まで持っていく手もあるが。

同時に今から憂慮すべき点もある。“引っ越し”を機会により広い会場を手に入れて旧来のモーターショーのような姿を目指すのは、ボローニャの轍(てつ)を踏むことになり、失敗は目に見えている。

また、ロンバルディア州ということで、モンツァサーキットが会場? という説が早くも聞かれるが、それも問題だ。モンツァはミラノ中心部から20km以上離れており、クルマがないと不便なエリアだ。

パルコ・ヴァレンティーノは市街地で開催されてきたため、中央駅であるポルタ・ヌォーヴァ駅から徒歩15分ほどで到達できるのが魅力だった。

クルマを使わずに行けるモーターショーは理想的であり、いかに都市中心部で自家用車を少なくしていくかを模索している今日の潮流とも合致している。

パルコ・ヴァレンティーノは、オワコン感が漂う世界のモーターショーにとって、稀有(けう)な成功例だった。それだけに大切に育ててほしいものである。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

38年を隔てたジウジアーロの2作品、1981年「デロリアンDMC-12」と2019年「カンガルー」。
38年を隔てたジウジアーロの2作品、1981年「デロリアンDMC-12」と2019年「カンガルー」。拡大
「アルファ・ロメオ・アルファ75」を「日産スカイラインGT-R」が追う。
「アルファ・ロメオ・アルファ75」を「日産スカイラインGT-R」が追う。拡大
「テスラ・クラブ・イタリー・レボリューション」のメンバーによるパレードには、オランダなど国外からのゲスト参加も。
「テスラ・クラブ・イタリー・レボリューション」のメンバーによるパレードには、オランダなど国外からのゲスト参加も。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など数々の著書・訳書あり。

あなたにおすすめの記事
新着記事