スパナからハサミに持ち替えたランボルギーニ

まったく別の道を選んだ自動車マンといえば、ランボルギーニの創業者フェルッチョ・ランボルギーニ(1916年-1993年)だ。

第2次大戦後にイタリアの国情に合致した小型トラクター製造で財を成した彼は、周囲の反対を押し切って“グラン・トゥリズモ”開発に乗り出す。幸い1966年の「ミウラ」をはじめとする革新的なプロダクトによって、彼は時代の寵児(ちょうじ)となった。

しかし、南米ボリビア政府によるトラクター大量発注が同国の革命によって破棄された事件や、1969年のイタリアにおける歴史的労働運動「熱い秋」などによって経営は急速に悪化した。

フェルッチョは56歳の年である1972年にトラクター事業の売却を決める。自動車部門アウトモービリ・ランボルギーニの株もスイス人実業家へと段階的に譲渡することで彼は企業の経営から手を引いた。

代わりに、買い取った中部ウンブリア州の農園で、ワインづくりに精を出す。スパナから剪定(せんてい)バサミに持ち替えたわけである。

後年、フェルッチョは旧自動車部門の買い戻しを試みて失敗しているのも事実だ。だが、麻畑農家の生まれだったことを回想し、「だから畑仕事は俺の故郷に帰るようなものさ(参考:トニーノ・ランボルギーニ著 拙訳『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』)」と語っている。

彼のワインづくりは年々気合が入り、当初は地元の共同貯蔵庫で熟成させていたが、のちに自らのものを所有するようになる。そして醸造学者も招き、品評会に出しては賞をとるようになった。

なんとも潔い転身ではないか。もし、雄牛のごとく強く個性的なフェルッチョがひたすら自動車をつくり続けていたら、周囲はイエスマンだけになり、結果としてランボルギーニは行き先を失っていただろう。

ボローニャ県のフェルッチョ・ランボルギーニ博物館にて。彼の肖像と「ランボルギーニ350GTV」のモックアップ。
ボローニャ県のフェルッチョ・ランボルギーニ博物館にて。彼の肖像と「ランボルギーニ350GTV」のモックアップ。拡大
フェルッチョ・ランボルギーニによる初期のトラクター群。手前のオレンジ色は、彼が最初に手がけた「カリオカ」と名付けられたモデル。
フェルッチョ・ランボルギーニによる初期のトラクター群。手前のオレンジ色は、彼が最初に手がけた「カリオカ」と名付けられたモデル。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など数々の著書・訳書あり。

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