シトロエンの豪快人生

たとえ本人が望まなかった不遇の最期であっても、豪快な生きざまが語り草となる自動車マンもいる。今年創業100年を迎えたシトロエンの創業者アンドレ・シトロエン(1878年-1935年)もその一人だ。

フォード式大量生産をパリ・ジャヴェル川岸の自動車工場で実践して大成功した彼は、夫人のジョルジーナとオペラ座やキャバレーに毎晩繰り出し、夜のパリで知らぬ者はいないセレブリティーとなった。

コート・ダジュールのカジノでの振る舞いも破天荒だ。シトロエンの研究家ジャック・ウォルゲンジンガーの著書『アンドレ・シトロエン』によれば、ある晩アンドレはバカラで1000万フランを失ったあと、1700万フランを取り戻した。その際、クルピエ(カジノディーラー)一人ひとりに「シトロエン5CV」の目録をプレゼントしたという。

やがて1930年代に入ると、シトロエンはアメリカ車を範とした質実剛健さ第一のクルマづくりではなく、世界をリードする技術を投入したクルマづくりを模索するようになる。

しかし世界恐慌の余波が残る中、過大な研究開発投資は大きな災いをもたらすもととなった。

1934年2月にはフランス銀行に融資を断られる。同年11月にはアメリカのサプライヤーが支払い猶予を認めなかったことでさらに窮地に陥った。その結果、12月21日には裁判所によって破産が宣告される。

そうした中で年明けの翌1935年1月にはアンドレ・シトロエンは入院。7月に息を引き取る。

喜劇役者チャーリー・チャップリン(左)とアンドレ・シトロエン(右)。
喜劇役者チャーリー・チャップリン(左)とアンドレ・シトロエン(右)。拡大
パリのジャヴェル=アンドレ・シトロエン駅には、アンドレの肖像と略歴が。
パリのジャヴェル=アンドレ・シトロエン駅には、アンドレの肖像と略歴が。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など数々の著書・訳書あり。

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