サインツ、マクレーのコンビで勝利を重ねる

1994年、スバルチームにカルロス・サインツが加入した。コリン・マクレーとのコンビで、チャンピオンを狙う体制が整ったのである。サインツは初戦のモンテカルロで3位に入り、優れた適応能力を見せつけた。アクロポリスラリーでインプレッサに初勝利をもたらした彼は、年間ドライバーズランキングで2位に。マニュファクチャラーズタイトルでもスバルは2位となり、世界制覇が近いことを予感させたのである。

1995年のシーズンは、モンテカルロでのサインツ圧勝で幕を開けた。幸先のいいスタートだったが、次戦のスウェーデンでは全車エンジンブローという最悪の結果が待っていた。この年からエンジン性能を制限するエアリストリクターの内径が38mmから34mmに縮小されており、それに対応したパーツの軽量化が耐久性に問題を生じさせていたのだ。

スバルの不運をしり目に、スウェーデンで1位、2位を占めたのが三菱である。「ランサーエボリューション」の成熟を進めてきた三菱は、WRCの有力チームとして急速に力をつけつつあった。

一方、急ごしらえの対策パーツに不安を抱えたまま戦い続けることになったスバルだが、エンジニアの努力のかいもあって、その後同様のトラブルは発生しなかった。ラスト2戦は3位までをインプレッサが占めるというパーフェクトな勝利を収め、スバルはマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ドライバー部門でもマクレー1位、サインツ2位という結果で、スバルはダブルタイトルに輝いた。

その後も1996年、1997年とマニュファクチャラーズタイトルを制するなど、スバルは好成績をあげ続ける。一方、ドライバーズタイトルは三菱のトミ・マキネンが1996年から4連覇。1998年にはトヨタも復帰し、WRCにおける日本メーカーの戦いは最盛期を迎えた。その過程でスバルの名声は揺るぎないものになり、六連星はラリーファンの目に焼き付けられた。

現在のスバルは、小規模ながら独自のメカニズムを持つ自動車会社として世界中から認められる存在となっている。今日におけるスバルの人気は、WRCでの水際立った活躍によって確立したのだ。

(文=webCG/写真=FCA、トヨタ自動車、スバル、STI、三菱自動車、ルノー/イラスト=日野浦剛)

1994年にスバルに加入したカルロス・サインツ(右)。長年にわたりトヨタに所属し、1990年と1992年にドライバーズタイトルに輝いている。
1994年にスバルに加入したカルロス・サインツ(右)。長年にわたりトヨタに所属し、1990年と1992年にドライバーズタイトルに輝いている。拡大
1995年のスウェディッシュラリーにおける「三菱ランサーエボリューション」の走り。新鋭のトミ・マキネンを擁する三菱は、スバルの好敵手となった。
1995年のスウェディッシュラリーにおける「三菱ランサーエボリューション」の走り。新鋭のトミ・マキネンを擁する三菱は、スバルの好敵手となった。拡大
1995年のカタルニアで優勝を喜ぶスバルのスタッフとドライバー。同年、スバルは念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルも、同チームのコリン・マクレーが獲得した。
1995年のカタルニアで優勝を喜ぶスバルのスタッフとドライバー。同年、スバルは念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルも、同チームのコリン・マクレーが獲得した。拡大
長年にわたりスバルのエースとして活躍してきたコリン・マクレー(右)。1991年よりスバルのラリーチームに所属し、1999年にフォードに移籍するまで活躍し続けた。
長年にわたりスバルのエースとして活躍してきたコリン・マクレー(右)。1991年よりスバルのラリーチームに所属し、1999年にフォードに移籍するまで活躍し続けた。拡大
1997年のラリーアルゼンチンにて、互いの健闘を称える三菱とスバルのドライバー。1990年代のWRCにおける日本車の活躍は、世界中のファンに強い印象を植え付けた。
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