ファンジオの記録を超えた直後の死

クラークはその生涯において、2度にわたりチャンピオンとなっている。2度目のタイトル獲得は1965年で、この年はインディ500でも優勝し、アメリカにも名声は鳴り響いた。とはいえ、「F1史上最高のドライバー」とも称される実力からすれば、それは物足りない成績かもしれない。1962年と1964年にもチャンスはあったが、マシンのトラブルで惜しくもタイトルを逃している。1967年には年間4勝を挙げたが、2勝にすぎなかったデニス・ハルムに得点で及ばなかった。

サーキットの外では、クラークは常に温厚で礼儀正しい青年だった。極端にシャイな性格で、爪をかむクセがあり、パーティーでは会場の片隅でひとりジュースを飲んでいたという。自ら前に出ることをしない彼の能力を開花させたのは、コーリン・チャップマンだった。ふたりは兄弟のように仲がよく、レース期間中はいつも一緒にホテルのツインルームに泊まっていた。彼らは四六時中レースについて語り合い、スピードを追求していった。

1968年シーズンのロータスは、第1戦の南アフリカGPでワンツーフィニッシュを果たすという、最上の成績でスタートした。1位はクラーク、2位は前年にロータスに戻り、チームメイトとなっていたグラハム・ヒルである。名機「49」とコスワースDFVエンジンの組み合わせは最強と目され、ロータスの優位は明らかだった。クラークの勝利数は通算25となり、ファンジオの記録を超えた。

しかし、第2戦の前にホッケンハイムで行われたF2のレースに参加したクラークは、高速コーナーでクラッシュして即死する。32歳。あまりに若い死だった。

1965年のF1では、クラークはインディ500のために欠場したモナコを除き、初戦から6連勝。早々に年間タイトル獲得を決めた。(写真:Newspress)
1965年のF1では、クラークはインディ500のために欠場したモナコを除き、初戦から6連勝。早々に年間タイトル獲得を決めた。(写真:Newspress)拡大
インディ500で優勝を果たしたジム・クラーク(中央)と、コーリン・チャップマン(右)。
インディ500で優勝を果たしたジム・クラーク(中央)と、コーリン・チャップマン(右)。拡大
クラークのライバルであるグラハム・ヒルは1967年にロータスに復帰。コスワースDFVを搭載した「49」の開発に携わった。
クラークのライバルであるグラハム・ヒルは1967年にロータスに復帰。コスワースDFVを搭載した「49」の開発に携わった。拡大
1968年の南アフリカGPで優勝し、ついにファンジオの勝利数を超えたクラーク。彼にとって、これが最後のF1での勝利となった。
1968年の南アフリカGPで優勝し、ついにファンジオの勝利数を超えたクラーク。彼にとって、これが最後のF1での勝利となった。拡大
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