シボレー・コルベット スティングレイ クーペ(MR/8AT)
不滅のアイコン 2020.03.16 試乗記 アメリカを代表するスーパースポーツ「コルベット」がフルモデルチェンジ。「C8」こと8代目コルベットは、まさかのミドシップとなって登場した。長年培ってきたFRの駆動レイアウトを捨てることで得たもの、そして失ったものとは? 米ラスベガスから報告する。関係者の夢だった“ミドシップ・コルベット”
継続する単一銘柄としては世界で最も古い歴史を持つスポーツカー、シボレー・コルベットの誕生は1954年にさかのぼる。元号でいえば昭和29年。日本の時計でなぞらえればゴジラが生まれた頃の話だ。
軽さと成形自由度の高さを重視して選ばれたファイバー製のボディーによって、初代コルベットは周囲のクルマを一気に突き放す未来的なスタイリングを実現。対してフルフレームシャシーにリーフリジッドのリアサスペンションと、車台は至って保守的だった。
このクルマにスポーツカーとしての生命を吹き込んだのは、1955年に搭載されたスモールブロックV8エンジンである。当時、コルベットよりもはるかに巨大なフルサイズサルーンを走らせるために用いられていたV8の搭載を決断したのは、GMで動的性能を担当していたエンジニア、ゾーラ・アーカス・ダントフだ。自らもルマン24時間レースでクラス優勝を果たすなど優れたレーシングドライバーであり、かつてはエンジンチューニングのパーツ販売をしていたという経歴のダントフは、このV8を武器にコルベットをモータースポーツの現場に引っ張り出し、数々の栄光をGMにもたらした。氏が後に、コルベットの父といわれるゆえんはここにある。
このダントフがこだわり続けたのがミドシップパッケージであり、59年には「CERV(シボレー・エンジニアリング・リサーチ・ビークル)」と銘打ったミドシップフォーミュラを製作。その後も世界的なミドシップムーブメントを追い風に60~70年代にかけてミドシップのコンセプトカーを次々と生み出した。これらはすべからく次世代のコルベットの検討材料にもつながっており、ダントフの去った80~90年代にかけても、フェラーリ好きを公言していたGMのチーフデザイナー、チャック・ジョーダンの指揮のもと、より具体的なミドシップ・コルベットの姿はコンセプトカーを通して描き続けられた。
……と、長々と歴史を追ってみたのは、コルベットにとってミドシップというプランが降って湧いたものではないということをお伝えしたかったからだ。悲願というほどではなかったかもしれないが、このクルマに関わる者にとっては、心のどこかに“後ろの長いシルエット”があったことは間違いない。
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