BMWとのジョイント そして低迷期へ

1990年代最後の2年をルノーの“型落ち”エンジンで戦ったウィリアムズに、新たなパートナーが現れる。ドイツの巨人、BMWだ。

2000年からエントリーしたBMWウィリアムズは、強力なエンジンと、ラルフ・シューマッハーやファン・パブロ・モントーヤらの活躍もあり、ポディウムの常連となる。2000年、2001年とコンストラクターズランキング3位、2002年、2003年には同2位と着実にステップアップ。次はいよいよ王座奪還かと期待が高まったものの、2004年は牙のようなフロントデザインが特徴の「FW26」でつまずき、ランキング4位に転落してしまう。このころのウィリアムズは、長く技術部門を率いてきたヘッドから若手エンジニアのサム・マイケルにトップの座が移るなど、チームの若返りを図っている時期でもあった。

その後は調子を取り戻せず、5年ぶりに未勝利に終わった2005年を最後に、BMWとの提携を解消。成績悪化にともない関係が悪化したのに加え、BMWが社内外に巡らした政治的な思惑に、ウィリアムズの嫌気が差したというのも原因だったようだ。

BMWと別れてからは、コスワース(2006年、2010年、2011年)、トヨタ(2007~2009年)、ルノー(2012年、2013年)と、エンジンサプライヤーをころころと変え、またリザルトも上向かないシーズンが続いた。

その後、2014年にメルセデスと提携し、パワーユニット供給を受けるようになってからは好機をつかんだかにみえた。実際、2014年と2015年にはメルセデス、レッドブル、フェラーリという3強チームの一角を崩し、シーズンをランキング3位で終える。しかし翌年からは再び低迷。2016年、2017年はランキング5位、2018年からは最下位が定位置となり、そこから抜け出せなくなってしまった。

比較的好調だった2014年からの2シーズンは、現行ターボハイブリッド規定の最初の2年と重なる。この間のウィリアムズの強みは、メルセデスの強心臓を十二分に生かしたストレートスピードにあった。彼らは時に本家メルセデスをも上回る速さをみせ、2014年のオーストリアGP予選では、フェリッペ・マッサとバルテリ・ボッタスがフロントローを独占したほどだ。

だが、パワー頼みのマシンには限度があった。低ドラッグ化によりダウンフォースは不足し、中低速コーナーが苦しく、タイヤにも負担がかかってなかなか上位を狙えなくなった。ヘッドが去ってからというもの、技術責任者はマイク・コフラン、パッド・シモンズ、パディ・ロウと入れ替わりが続いた。そうこうしているうちに、猛烈に追い上げてくるライバルに対してアドバンテージを示せなくなり、気がつけば最下位が定位置になってしまった。

BMWとのコラボ初年度に当たる2000年のブラジルGPにて、ラルフ・シューマッハー(手前)とジェンソン・バトン(奥)がドライブする「FW22」。
BMWとのコラボ初年度に当たる2000年のブラジルGPにて、ラルフ・シューマッハー(手前)とジェンソン・バトン(奥)がドライブする「FW22」。拡大
2003年のカナダGPにて、表彰台で互いを祝福するラルフ・シューマッハー(左)とファン・パブロ・モントーヤ(右)。ウィリアムズはフェラーリ、マクラーレンとタイトル争いを繰り広げ、ランキング2位でシーズンを終えた。
2003年のカナダGPにて、表彰台で互いを祝福するラルフ・シューマッハー(左)とファン・パブロ・モントーヤ(右)。ウィリアムズはフェラーリ、マクラーレンとタイトル争いを繰り広げ、ランキング2位でシーズンを終えた。拡大
“ウォラス(セイウチ)ノーズ”と呼ばれたフロントまわりのデザインが特徴的な「FW26」。2004年シーズンに投入されたマシンである。
“ウォラス(セイウチ)ノーズ”と呼ばれたフロントまわりのデザインが特徴的な「FW26」。2004年シーズンに投入されたマシンである。拡大
トヨタがエンジンを提供していた2007~2009年には、日本人ドライバーの中嶋一貴(写真中央上段)もウィリアムズのステアリングを握った。
トヨタがエンジンを提供していた2007~2009年には、日本人ドライバーの中嶋一貴(写真中央上段)もウィリアムズのステアリングを握った。拡大
BMWとの決別後は、コスワース、トヨタ、ルノーとさまざまなエンジンサプライヤーと提携。2014年からは、メルセデスからエンジンの提供を受けてF1を戦っている。
BMWとの決別後は、コスワース、トヨタ、ルノーとさまざまなエンジンサプライヤーと提携。2014年からは、メルセデスからエンジンの提供を受けてF1を戦っている。拡大
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