それは首相の名前です

筆者が知る限り、自動車史上、最初に擬人化したニックネームがつけられたのは、1908年の「T型フォード」である。その愛称は「ティン・リジー」であった。

きっかけは1922年、コロラド州パイクスピークのレースに現れたある参加者のT型だった。参加者がつけたニックネームは「オールド・リズ」であった。

しかし未塗装かつフロントフードを装着していなかったため、人々は「オールド・リズ」ではなく、「ブリキのリズちゃん(tin Lizzie、もしくはtin Lizzy)」と呼ぶようになった。

T型の発売は1908年だから、14年後についた愛称ということになる。筆者が考えるに、街を走るT型の車体色の大半は黒であったこと、経年変化で独特の風合いが出ていたことが背景にあろう。さらに1920年代に入ってからはライバルのゼネラルモーターズ(GM)による華やかな新車攻勢もあり、T型は古くさくなってしまった。その素朴さがある意味人々の目におかしく映ったことも、「ブリキのリズちゃん」が広まるきっかけになったに違いない。

意外なことに、あのメルセデス・ベンツにも、人名のニックネームを、それも複数発見することができる。

まずは「300SLR」の1モデルだ。1955年、ダイムラー・ベンツは来シーズンに向けて300SLRのクローズドボディー仕様を開発していた。しかし同社はルマンでの大事故をきっかけにモータースポーツ活動を急きょ停止することになった。そのためこの車両は当時テスト部門長であったルドルフ・ウーレンハウトにカンパニーカーとして供されることになり、“ウーレンハウト・クーペ”と呼ばれるようになった。

次いで今日の「Sクラス」の祖先にあたる1951~1962年の「300」(W186およびW189)だ。第2次世界大戦後にドイツ連邦共和国の初代首相を務めたコンラート・アデナウアーが愛用したことから“アデナウアー・メルセデス”と呼ばれている。ダイムラーによると、元首相は1951年から6台の300に乗っている。引退直前の1963年には最後の公用車を買い取り、リタイア後はこの世を去るまで運転していたという。まさにニックネームにふさわしいヒストリーである。

クルマそのものではないが、メルセデス・ベンツといえば、1980年のSクラス(W126)に初採用されたボディーサイド下部のプラスチック製パネルにも愛称があった。

当時のデザインダイレクター、ブルーノ・サッコにちなんで、“サッコプレート”と呼ばれるようになった。その愛称は、のちに同様のパネルが「Eクラス」(W124)や「190」(W201)などにも採用されるにしたがって、愛好家の間でより一般的なものとなった。

1909年「フォード・モデルTツーリング」。トヨタ博物館蔵。
1909年「フォード・モデルTツーリング」。トヨタ博物館蔵。拡大
“ティン・リジー”こと「T型フォード」の構造を示すディスプレイ。ヘンリー・フォード・ミュージアム蔵。
“ティン・リジー”こと「T型フォード」の構造を示すディスプレイ。ヘンリー・フォード・ミュージアム蔵。拡大
1955年「メルセデス・ベンツ“ウーレンハウト・クーペ”」。
1955年「メルセデス・ベンツ“ウーレンハウト・クーペ”」。拡大
アデナウアー初代西ドイツ首相が愛用した「メルセデス・ベンツ300」。
アデナウアー初代西ドイツ首相が愛用した「メルセデス・ベンツ300」。拡大
メルセデス・ベンツ・ミュージアム展示車は、首相在任時代の最後に使用した1959年型で、引退後もプライベートカーとして愛用した。
メルセデス・ベンツ・ミュージアム展示車は、首相在任時代の最後に使用した1959年型で、引退後もプライベートカーとして愛用した。拡大
2代目「メルセデス・ベンツSクラス」(W126)の側面パネルは、デザイナーの姓にちなんで“サッコプレート”と呼ばれるようになった。
2代目「メルセデス・ベンツSクラス」(W126)の側面パネルは、デザイナーの姓にちなんで“サッコプレート”と呼ばれるようになった。拡大
メルセデス・ベンツによる1981年のコンセプトカー「Auto2000」にも“サッコプレート”が見られる。
メルセデス・ベンツによる1981年のコンセプトカー「Auto2000」にも“サッコプレート”が見られる。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。19年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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