日本に見当たらないのが惜しい

イタリア車が持つ最も輝かしいニックネームのひとつは、1959年「マセラティ5000GT」の“シャー・ディ・ペルシャ”であろう。

1958年、当時のイラン国王(シャー)パフラヴィー2世は、マセラティに「世界最速のクルマを」と注文する。メーカーは既存の「3500GT」のチューブラーフレームに、レーシングモデルである「450S」のエンジンを搭載。カロッツェリア・トゥリング・スーペルレッジェーラ製ボディーを載せて完成させた。これが“シャー・ディ・ペルシャ”である。

政治的にも文化的にも西欧化を目指したパフラヴィー政権だが、国内における貧富の差は拡大し、宗教界からも強い批判が上がった。その結果、1979年に失脚。本人は国外に亡命する。

だが、彼がオーダーした自動車は今日でもたびたびコンクール・デレガンスやオークションに登場する。“シャー・ディ・ペルシャ”は、クルマに高い見識を持つパフラヴィー2世を象徴する1台である。

ちなみに、今日存在する新生カロッツェリア・トゥリング・スーペルレッジェーラはオリジナルへのオマージュとして、2018年と2019年に、「シャーディペルシャ」と名づけた少量生産車を制作している。

米国や欧州には、かくも特色ある経緯に基づくニックネームを持つクルマが存在する。

いっぽう、日本車に同様の例が見られないのは残念である。「ホンダN360」の“Nコロ”も、人間ではなく“犬コロ”から派生したものであろう。

また、前述したドイツのアデナウアー元首相の勧めで購入した吉田 茂元首相愛用の1963年「メルセデス・ベンツ300SEラング」も、“吉田ベンツ”などと呼ばれるには至っていない。

加えて、メーカーによる作為的なニックネームは、どうやら普及に限界があるようだ。その好例は、1983年にスズキから発売された軽自動車「マイティボーイ」だ。限りなくリーズナブルな価格でスタイリッシュなピックアップをつくるというコンセプトや、「金はないけどマイティボーイ」という自動車業界の常識を打ち破るCMソングの歌詞を筆者自身は高く評価していた。

しかし、そのキャッチ「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」にうたわれた「マー坊」は、自動車史の一部として記すには及ばない。

トゥリング・スーペルレッジェーラ製ボディーを持つ1959年「マセラティ5000GT」。発注者がイランのパフラヴィー2世国王であったことから“シャー・ディ・ペルシャ”の通称で知られる。
トゥリング・スーペルレッジェーラ製ボディーを持つ1959年「マセラティ5000GT」。発注者がイランのパフラヴィー2世国王であったことから“シャー・ディ・ペルシャ”の通称で知られる。拡大
デザイナーによるサイドビュースケッチをそのまま具現したようなリアの長さに注目。
デザイナーによるサイドビュースケッチをそのまま具現したようなリアの長さに注目。拡大
1967年「ホンダN360」。今日でも“Nコロ”の愛称で親しまれている。
1967年「ホンダN360」。今日でも“Nコロ”の愛称で親しまれている。拡大
吉田 茂元首相が愛用した1963年「メルセデス・ベンツ300SEラング」。2008年10月、ヤナセ銀座スクエアで撮影。
吉田 茂元首相が愛用した1963年「メルセデス・ベンツ300SEラング」。2008年10月、ヤナセ銀座スクエアで撮影。拡大
スズキの軽ピックアップ「マイティボーイ」。「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」のキャッチフレーズとともにデビューした。
スズキの軽ピックアップ「マイティボーイ」。「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」のキャッチフレーズとともにデビューした。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。19年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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