ブルーカーの最期に

ところで、冒頭で記したトリノのブルーカーは何だったのだろうか。

今回の執筆を機会に調べてみると、トリノでもボロレによって2016年10月に「ブルートリノ」の名称でEVシェアリングが開始されていた。この地のブルーカーは、そのためだったのである。

ちなみに同年6月には、ポピュリズム政党「五つ星運動」から出馬したキアラ・アッペンディーノ市長が当選している。環境政策を進める彼女にとっても好材料となった。

しかしトリノでも不振続きで、2019年の赤字額は1500万ユーロ(約19億円)に達してしまった。

そして2021年12月、ブルートリノ事業は冒頭のFCA系企業、リーシスに売却されたのだった。

すなわち新型500のシェアリングは、撤退するブルーカーの代わりだったのである。市内にある430カ所の充電ステーションと500カ所以上の専用駐車スペースは、リーシスが継承することになった。

そして先日、2021年2月12日にブルートリノはサービスを終了した。存続期間はわずか5年だったことになる。

トリノのカーシェア利用者を対象にしたリサーチによると、1000人あたり自家用車保有台数は2015年には479台だったが、2019年には489台と、2.2%の増加となった。調査したトリノ工科大学は「カーシェアは新車購入を遅らせる効果はあるが、それを抑止する効果はない」としている(出典:『イル・モーレ24』2020年8月3日版)。

ボロレとピニンファリーナによるブルーカーの生産契約は2022年12月までだったが、3年前倒しで2019年に解消された。それを受けるかたちで2020年、バイロの工場も操業を終えた。今後同拠点では、ピニンファリーナが同年に技術協力に関する覚書を交わした中国・韓国系企業である松果(ソングォー)のEV生産拠点となる予定だ。

こうしてブルーカーは、事実上幕を閉じた。

すでに本欄で記した繰り返しになるが、失敗の背景には、政治力を武器に採算性を考えぬままカーシェア事業に進出したボロレと、それを安易に受容した自治体との関係があったことは明らかだ。

個人的にもブルーカーにはさまざまな思いを抱いてきたが、ふと浮かんだのは、学生時代からの愛読書である永井荷風の1931年作品『つゆのあとさき』だ。東京・銀座で働くカッフェーの「女給」である君江にまつわる物語である。

客として登場する男たちは、奔放な人生を送る君江に愛憎の念を含め、さまざま思いを抱く。

筆者が考えるに、自家用車を配偶者とすれば、次々とさまざまな乗り手に仕えるシェアリング自動車は、今風に言えば接待を伴うサービス業の従事者である。

だから浮世の荒波にもまれながら、さまざまな男に抱かれてきた君江と、時代に翻弄(ほんろう)されたブルーカーが頭の中で重なった。

しかし、物語終盤になって現れる「おじさん」こと、川島という男だけは他の男たちと違っていた。かつて君江が実家を飛び出してきたころに世話をした彼は、ある日偶然彼女と出会った夜、部屋に誘われるも情欲に溺れることなく、ひたすら昔の思い出を語り続ける。

筆者に中古ブルーカーを“身請け”する勇気はない。だが生まれながらにして不特定の人に仕える運命を背負った、類いまれなるクルマの一部始終を知ったあととなっては、他車とは別の感慨をもって接するしかない。まさに「おじさん」の心境になって著したのが、今回の一文である。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、リーシス、松果/編集=藤沢 勝)

トリノでは、電力会社のエネルやイタリア国鉄が参画する内燃機関車のシェアリングサービス「エンジョイ」も、「ブルートリノ」のライバルとして立ちはだかった。
トリノでは、電力会社のエネルやイタリア国鉄が参画する内燃機関車のシェアリングサービス「エンジョイ」も、「ブルートリノ」のライバルとして立ちはだかった。拡大
松果の現行車種から。同社は2020年9月にピニンファリーナと覚書を交わした。
松果の現行車種から。同社は2020年9月にピニンファリーナと覚書を交わした。拡大
「ブルーカー」は時代に翻弄(ほんろう)された。2017年10月、パリ郊外で撮影。
「ブルーカー」は時代に翻弄(ほんろう)された。2017年10月、パリ郊外で撮影。拡大
「ブルーカー」の一部始終を眺めてきた筆者である。2012年5月にパリで。
「ブルーカー」の一部始終を眺めてきた筆者である。2012年5月にパリで。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。21年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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