あの震災から12年 福島での日産の取り組みに思うこと
2023.03.06 デイリーコラム輸送・移動の大切さを痛感
福島県の「浜通り」と聞いて、多くの人が思い起こすのは「地震」ではないだろうか。
2011年の東日本大震災では、この地域が揺れだけではなく大津波にも襲われ、域内の福島第1原発は未曾有(みぞう)の災害を引き起こしてしまった。今でも続く余震の速報では、テレビの上段にその名がしばしば現れる。
当時は運転手の人手もないという状況のなか、運転くらいしか能のない自分は、仕事がほぼほぼストップしたこともあり幾度もボランティアのドライバーを経験した。
直後の任務は医療用品をはじめとした物資を東京から運んで被災地の適材適所に分配するというものだったが、いかんせんガソリンが完全に枯渇していて道具がないに等しい。仙台では薬はあるけどガソリンがなくて薬問屋の軽バンが動かせず、物資を病院に届けられないという状況だった。
そんななか、当時のメルセデス・ベンツ日本のマネージャーが男気をみせて供出した「ML350ブルーテック4MATIC」が大活躍してくれたことは、思い出に深く刻まれている。復旧したとはいえ、揺れで随所がゆがんだ東北道を余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で駆け抜けつつ、現地でのデリバリーも含めた東京・仙台間の往復を無給油でこなしてくれたあの頼もしさは、今でも僕のメルセデスに対する敬意の礎になっている。
それとともに、自律的移動手段を途切れることなく確保するためにも、乗用車の2割くらいはディーゼルにしておいたほうがいいという思いを抱いたのもこの時だ。その直後にマツダが「スカイアクティブD」を世に出してくれたおかげで、万一の際に皆々が動けなくなるという懸念は幾分かでも軽減されたように思う。
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EV普及の先まで見据えて
そんな浜通りも今では多くに日常が戻ったが、一部は帰宅困難地域に指定されたままだ。震災時は全域避難指示だった双葉郡の浪江町も現在は一部地域を除いて制限は解除されているが、それでも現時点での地域居住者数は1割に届かない。震災時の人口2万1000人余のうち、1万9000人以上の住民は今でも県内外で避難中という状況だ。
その浪江町で2018年からEVのバッテリーリユース事業を本格的に稼働させているのが4R ENERGY(フォーアールエナジー)社だ。日産自動車が51%、住友商事が49%の出資比率でこの会社ができたのは2010年の秋。つまり初代「リーフ」の登場に先駆けてのことだった。
社名にある4Rは「リサイクル」「リユース」「リファブリケート(再製品化)」「リセール」の頭文字をとったもの。その使命は「ゼロエミッション車の普及に加えて、再生可能エネルギー分野で蓄電池を再利用し、さらなるCO2削減を行い低炭素社会の実現を目指す」ことにある。「クルマの環境問題はEVシフトで解決」といわんばかりの現況にあって、その後始末までも具体的な行動をもって見据えていたのだから立派だと思う。もし東日本大震災が起こらなければ原発の深夜余剰電力の受け皿という完璧な利害一致が継続していたのかもしれない。そうなると日本の自動車を巡る環境は変わっていただろうと思うが、想像したところでアフターカーニバルでもある。
そんななかで初代リーフの車両が廃車時期を迎え始めることが、フォーアールエナジーの浪江事業所を設立した大きな理由である。ここに集まる使用済みのバッテリーの大半は国内外の日産販売網からやってきている。現時点ではオークション等の売買市場に流れる個体は車両ごと海外の需要が買い支えているとのことで、自ら買い入れることは、なきに等しいという。
ますます“4R”が急務の社会に
フォーアールエナジーのリユース拠点である浪江事業所にユニット単位で持ち込まれたバッテリーは、アウターパネルを開封した後でモジュールごとに全品検査を受ける。
初代リーフはモジュールあたり4つのパウチ状セルがおさめられ、48モジュールで24kWhの容量を確保していたが、セル単位で分解されることはなく、この48モジュールの個々の液だれや膨張などの可視によるチェック、過充電や過熱などの履歴、電流電圧状況などを計測機器で解析。良好な状態のものを組み合わせて再びパッケージし、バッテリーユニットのリビルド品として日産に納めている。また、レジャーや災害などでも活躍する可搬型のバッテリーパックや施設・インフラのバックアップ電源、再エネの余剰蓄電など、自動車以外の用途で再製品化されている。
世界的な需要の活性化に伴って、リチウムをはじめ、高性能バッテリーに必要な希土類が争奪戦となっているのはご存じのとおりだ。性能の残存度が高いバッテリーを再利用することは、新品に対して価格を抑えられるだけでなく、有限資源の保護にもつながる。調達価格は高騰の一途ゆえ、現状であれば新品との価格差は開く傾向になるだろう。ちなみにセルを分解して原材料レベルまで再抽出するリサイクルはまだ研究レベルで、事業化への道は10年単位が見込まれるという。が、現状考えられているEVの普及速度を考えると、早期に確立すべき技術ということになるはずだ。
「小さく深く」が求められる
日産は自治体や大学、他企業などと連携し、浜通りで次世代の街づくりやモビリティーサービスなどの提供を実証している。既に事業継続のための有償化の段階に入っているというが、前述のとおり、地域としては復興途上にあり過密度は低い。果たして実証的な場所として向いているのかという疑問は残る。
「MaaS(Mobility as a Service)的な事業は、その地に住む住民が第1の受益者です。その方々の移動に関する困りごとを解決する、心地よく使えるものにするという話になれば……『広く浅く』ではなく『小さく深く』でなければ、本当の事情ってわからないんですよ。深く入り込んで、何度も言葉を交わして、ようやく(本当の事情が)見えてくる。ニーズを理解せずにこちらの理想を押し込んでもダメだとわれわれは考えています」
浜通りのプロジェクトを推進する日産総合研究所の土井三浩所長は、そう思いを語る。そしてもうひとつ、重要なのは日産と浜通りとの縁だ。1994年に稼働したいわき工場は、VQエンジンのマザープラントとして、日産の事業計画においても欠かせない存在となってきた。その地でEVのバッテリー再生事業を手がけるというのも時代の因果なのだろうか。
現在の日本はパリ協定を受けて、エネルギーミックスにおいては政治的岐路にある。CO2の削減と電気の安定供給を鑑みれば、原発を再稼働せざるを得ないという声が大きくなりつつあるのも現実だ。個人的にも致し方なしなのではないかと思い始めてもいる。
でも、もしそんな現実を深く洞察してみようと思うなら、常磐線や常磐道でその地をぜひ走り抜けてみてほしい。今でも明かりがまったくともらない場所が続く、その車窓から感じられるものは多いと思う。
(文=渡辺敏史/写真=渡辺敏史、日産自動車/編集=関 顕也)
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渡辺 敏史
自動車評論家。中古車に新車、国産車に輸入車、チューニングカーから未来の乗り物まで、どんなボールも打ち返す縦横無尽の自動車ライター。二輪・四輪誌の編集に携わった後でフリーランスとして独立。海外の取材にも積極的で、今日も空港カレーに舌鼓を打ちつつ、世界中を飛び回る。