孤高の多気筒ユニット、W12エンジンとは何だったのか
2023.03.13 デイリーコラムあるカーガイのひらめきから
フェルディナント・ピエヒ時代のフォルクスワーゲン グループを振り返ると、その開発対象の極端さに今もって大いに驚かされる。世界最高の燃費性能を誇る1リッターカー(100km/リッター)の「フォルクスワーゲンXL1」を市販したかと思えば、見る見るガソリンの減る8リッターカー(最高速400km/h)の「ブガッティ・ヴェイロン」を世に送り出した。“ビートル”を復活させた一方で、高級車「フェートン」をつくった。ピエヒの飽くなきエンジニア魂のあらわれというべきだろう。2024年の4月にいよいよ生産を終えるW12エンジンも、ピエヒによって生み出された“極端”のひとつだったといっていい。
このW12ユニットは、V型直列というべき狭角VRエンジンを2つ組み合わせる。例えば「VR6」を2機並べたなら、コンパクトな12気筒エンジンができる。ピエヒは日本の新幹線の中でそれを思いついた、というのは有名な話。彼のすごいところは、その思いつきが究極的には18気筒(VR6×3基)にまで発展し、それを実際につくってしまったところ。結局、VVV(←VWだ)の18気筒こそプロトタイプで終わったけれど、W8、W12、W16は市販された。W16のブガッティ・ヴェイロンと同「シロン」はもちろんのこと、「フォルクスワーゲン・パサートW8」もまた名車だ。
けれども最も多く製造され、さまざまなモデルに搭載されたエンジンはW12である。1997年に「フォルクスワーゲンW12ナルドクーペ」というミドシップスーパーカーをイタルデザイン(ジウジアーロ)とのコラボレーションで製作。実際にプロトタイプを走らせてW12開発の礎を築き、2002年の「アウディA8」を皮切りに、フォルクスワーゲン・フェートンや同「トゥアレグ」、そしてベントレーの各モデルに搭載された。そしてその公道デビューから20年余を経た2024年4月、最後まで積まれていたベントレー用の生産がいよいよ終わるというわけだ。
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記憶と歴史に残るエンジン
筆者はフェートン以外のすべての市販W12モデルに試乗した経験がある。最も印象的だったのは、実は世界限定500台の「トゥアレグW12」だ。大成功をおさめたグループの大型SUV戦略にあって、最も質実剛健でドイツ車らしい大型SUVであったトゥアレグに、突拍子もないエンジンを積んだというそのギャップが面白かった。そういやトゥアレグにはもう一基、すごいエンジンが積まれていた。V12ディーゼルターボだ。まじめなフリしてすさまじいトゥアレグは通ウケするSUVでもあったのだ。
W12エンジンのドライブフィールは一貫してウルトラシルキー&スムーズだ。フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーブランドのV型12気筒とは一線を画する。そしてもちろん、力強い。重量級のセダンやサルーンを楽々とスーパーカーの速度へと導く。高回転域まで回しての迫力という点で、イタリアンはおろかブリティシュやジャーマンのV12には及ばなかったけれど、一点の曇りなき晴天に舞うプロペラのごとき滑らかさは独特で、そう意味ではユニークな官能性に満ちていた。
筆者はかつて「ベントレー・コンチネンタルGTスピード」を駆って、英国から大陸へと渡り、フランスからドイツへ、そしてチェコスロバキアのプラハまでドライブしたことがある。30km/h制限の村中から300km/hオーバーのアウトバーン速度無制限区間まで、すべての領域において信頼できるエンジンに、その強行軍は随分と助けられた。フランクフルト近くの直線路で体験した超安定の300km/hオーバーは、W16を積んだシロンのそれと並んで、脳裏に焼きついて離れない鮮明な記憶のひとつである。
惜しむらくはグループのランボルギーニで「ウルス」に積まれなかったことだ。取り巻く環境が今ほど厳しくなっていなければ、ひょっとしてW12のウルスが生まれていたかもしれない。
ブランドをまたがってさまざまなモデルに搭載されたため製造機数は多く、成功したエンジンのひとつであるW12。システムの異様さも相まって、歴史に残るエンジンであるといって間違いない。
(文=西川 淳/写真=ベントレーモーターズ、アウディ ジャパン、webCG/編集=関 顕也)

西川 淳
永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。